地域振興と観光 〜アニメの聖地は地域を活性させるか〜

えー、何だか私の地元がえらいことになっているようです。
痛いニュース(ノ∀`) : 聖地巡礼の「らき☆すた」ファンが地元住民に不審者扱いされる - ライブドアブログ
鷲宮神社に人がたくさん来ているようですね、リュックサックを背負った人が。
以前私はらき☆すたの舞台である北埼玉を取り上げ、アニメのロケ地として使われることで地域の活性化が図れるのではないか。という提言をしました。
瀬戸の花嫁とか、らき☆すたに見る駅 - マントラプリの生涯原液35度
これは自分が住む地域をアニメの舞台として売り込むことで活性化を図れるのではないか、という趣旨のものでした。今回「痛いニュース」で問題になっているのは、不審な格好をした人が地域をうろうろしていることです。まあ、目に付きやすい格好でも目的は明らかです。一般人よりも「不審」ではないとは思いますが、地域住民が警戒心を抱くという点は、この問題を考える上で重要です。
そう、「観光」と「振興」の違いについて考える必要があるのです。
「不審者」扱いされる理由の一つには北埼玉の久喜、鷲宮幸手付近が観光地化されていないことが挙げられます。これが観光者やフォーリジナー慣れしている温泉街や四国ならばここまで騒がれることはなかったはずです。何の変哲も無い生活空間に急に見知らぬ集団がやってきたからこそ、違和感を持たれるのです。幸手の権現堂でも春に来たならば桜見の観光客と認識されますが、新緑のみのただの土手である今の時期に、人が群れをなしてやってくるのですから、それは確かに不審。
逆に言えば「観光」地においてはオタだろうがなんだろうが不審がられないわけです。そして問題は「聖地」=「観光地」ではないことです。ここに「聖地」=「地域振興」へと直線的に繋がらない落とし穴があります。
たとえば「観光地」に人が来ることによる地域の人々のうまみはなんでしょう?
① 知名度が上がる。
② 観光客が金を落とす。
大変大雑把に言えばこの二つでしょうか。「聖地」の場合でも①は当てはまります。ただ、問題は②です。
「観光地」を擁する地域はそれを己の財源に組み入れた生活を営んでいます。幸手と春日部の間にある東武動物公園駅はその名のとおり遊園地を擁しています。東武動物公園がある宮代という地域はこの「観光地」のお陰で財政が潤っています。図書館や公民館、その他町のあらゆるところに動物公園という財源がもたらす利益が見て取れます。ここでやっている「プリキュアショー」や「ゲキレンジャーショー」にリュックとカメラを背負ったオタが大挙しても地元住民は不審に思わないでしょう。彼らはその財源によって潤うという「利潤」を得る代わりに、そこに来る有象無象の人を受け入れる「義務」を知らず知らずのうちに果たしているからです。
しかし「聖地」には②は当てはまりません。まず第一に恒常的なものではないということがあります。春日部市における「クレヨンしんちゃん」のように国民的なアニメになると評価は変わるでしょうが、なにせアニメはナマモノ。そんな保障はどこにもありません。したがって今聖地巡礼している人たちは一時的なもので、ブームと共に別の場所へと消え去ってしまうのです。そんな人たちを当てにして、権現堂で「らき☆すた煎餅」や「らき☆すた塩竃*1」を売ったり、春日部駅で「らき☆すた桐箪笥*2」を売ろうと考えても、一時は採算が取れるかもしれませんがすぐに廃れてしまうでしょう。「聖地」は一時的なものであって、東武動物公園のように、地域に根を張った財源にはなりえないのです。
この点、実写の「フィルムコミッション」の方が圧倒的に有利です。フィルムコミッションの地域では別のドラマや映画がとっかえひっかえで撮影されます。したがって一つの番組は廃れても、その地域がロケ受け入れを勧める限り絶えず「聖地」は再生産され続けます。アニメの場合、無い風景は勝手に作ればいいので、一つの場所に拘る必要がありません。実写より制約がない分、一地域にコミッションを作ってもそこを集中的に利用するうまみが無いのです。

しかし、これでへこたれていてはアニメによる「地域振興」なんかできっこありません。次回は①の知名度を通して、「振興」について考えます。
続く

*1:しおがま。幸手名物のお菓子。私も食べたことが無いくらい有名な名物

*2:春日部名物