瀬戸の花嫁とか、らき☆すたに見る駅

うひゃひゃひゃひゃひゃ!!「瀬戸の花嫁」オモシレー!!

こう、ノリツッコミとかではなく、全員がノリの中に住んでいて、たまに現実に顔を出して息をする感じ。主人公がツッコミ役かと思えば、ファーストキスを奪われたアフロのヤクザを見るたびに「ウホッ」となったり、モモーイ演ずるヒロインの燦は終始ボケ倒しで、殺伐とした主人公とオヤジの死闘もスルー。フォロー要因として登場すべき脇役たちも、出たその瞬間にボケ役へと転じている。誰も事態を収拾する気がなく、それなのに何故か話は転がっていく。お互いがボケであり、ボケとボケによる中和によって突っ込みの役をなす奇怪さは、さながら血気にはやるお笑いタレントを一つ屋根の下に放り込んだ如しです。最後には何故か演歌に乗って燦が締める、無理やりに。
今期で一番波に乗っているアニメじゃないですかねぇ。
しかし今回述べたいのはそのようなことではありません。「瀬戸の花嫁」の三話までの舞台は香川県観恩寺です。これは現実にある地名の観音寺市(かんおんじ)をもじったものと考えられます。登場する駅舎やプラットフォームはそのまま観音寺駅をトレースしています。また三話から登場のヒットマン・巻ちゃんが語る魚類と人間の対立のシーンで挿入される絵巻物には観音寺所蔵の蔵印が押されています。観音寺を舞台としていると考えて間違いないでしょう。
で、同じ駅舎に関する話題ですが「らき☆すた」のオープニングで神岸あかりもどき柊つかさが歩いている駅。あれは埼玉県にある東武春日部駅の西口です、ハイ。歩道を闊歩しているので銀行の前にある春日部市の物産陳列棚の方向に向かって歩いているのでしょう。つーか私の高校は春日部にあったので分かりました。
かように両作品とも現実にある駅舎を作品の中に取り入れ、使用しています。架空の町ではなく現実の場所を舞台にすうという手法はアニメの中で古くから使われています。しかし同じ京アニの「涼宮ハルヒの憂鬱」に見られる兵庫県の阪急西宮北口駅や甲東園駅周辺や、「がくえんゆーとぴあ まなびストレート!」に見られる中央線沿線の三鷹や高円寺の使用など、限定された場所の風景を忠実にトレースすると言う傾向が殊に盛んになっているように思われます。
つまりアニメで実地ロケをする感覚です。
私はアニメの技術論に明るくないのでココからは憶測なのですが、このような傾向の増加にはコンピューター処理の進歩が影響しているのではないでしょうか。従来は一から手書きで描かれていたセルアニメが一般的でした。しかし、デジタル技術の進歩により、写真からでも簡単にアニメ風の絵に加工したり処理できるようになったのではないでしょうか。そうなると架空の町を一から想像し、ビジョンを考えるよりは、現実の都市を舞台としてそこにある風景を中心に絵作りを行った方が効率がいいということになったのではないか、と。
こうした技術論からの現地取材は思わぬ副産物をアニメにもたらしているように思われます。涼宮ハルヒのヒットの際に見られたロケ地探訪など、舞台そのものを作品の属性として消費の対象とする文化が生まれているのではないでしょうか。キャラクターグッズや同人と同じように作品の舞台となった「聖地」を巡礼することで作品世界への理解を深める。作品舞台もまたグッズの一つとし考えられはじめています。
現在、映画の世界では地方がフィルムコミッションを結成し、映画を盛んに誘致しています。しかしアニメに関してのこういった動きはごく少数しか見られません。しかし現代においてはアニメの方が客層はともかく裾野としては、広いのではないでしょうか。自治体もアニメによる町おこしとしてロケ地の誘致を働きかける時が来ているのではないでしょうか。自治体自体には経済的負担もかからない、いい話だと思うのですが如何?
というかですねぇ。暴論を言っちまえばですよ、そろそろ自治体がスポンサーになってアニメやドラマを造ってもいい時期に来てると思うんですよね。日本。お行儀は決してよくない、公序良俗に反してるけどカジノ並に人畜無害なアニメをね。作っても、いいと思うんだ。