西森博之のマンガって…

いやぁ、ずっと思ってるんだけどさ、西森博之って稀有な漫画家だよね。

お茶にごす。 1 (少年サンデーコミックス)

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道士郎でござる 1 (少年サンデーコミックス)

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天使な小生意気 (1) (少年サンデーコミックス)

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今日から俺は!! (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

今日から俺は!! (1) (少年サンデーコミックス〈ワイド版〉)

なぁんかね、説明しずらいんだけどね、長生きするマンガ家っていうのは方法論を確立できた人なんだよね。この方法論、一回確立するとその人が描くどのマンガでも、通底して流れているものがわかるようになっちゃう。逆に言えばパターン化するってことでもあるんだけど、でも、本宮ひろ志みたく、そのカラーというヤツで40年近く第一線で生きる人間がいるわけで、マンネリ化とは違う「タマシイ」みたいなもの。それが読者にも可視化されるっちゅうこと。うーん、説明になってるような、なってないような。
で、西森博之なんだけど。不思議な作家だよね。背景は大体学園生活、おまけに主人公の年齢層も変化無し、キャラクター描写もずいぶん前から確立されている。絵が同じでも背景(舞台)が変ったり、視点が変ったりすることは当然ある。本宮ひろ志なんかはそう。でも、西森博之は変わらない。まだ、試論段階だけど西森博之に通底する要素を書き出してみる。
・中心に「違和感」がいる
なんというか主人公がいつもビギナーなんだよね。不良ビギナー。女ビギナー。日本ビギナー。茶道(文化部)ビギナー。うん、ビギナーなんだけど、なぜだかケッコウ様になってるんだ、みんな。ビギナーであるために、諸事において違和感バリバリなんだけど、舞台を上手く回してしまう。「カタにはまる」みたいに完全にその世界に溶け込めはしないんだけど、その有様自体が周囲に認められてしまうのだ。うーん、カメレオンとかラッキーマンデトロイトメタルシティみたいに極端じゃないんだけど、ああいう現象が、ある。
あと、主人公たちは初心者なんだけど、一種こなれている。前述の作品みたいに、本人自身が上手くいっている状況に場違い感を抱えることがあまりない。抱えていても「焦らない」。また、周囲の人々も主人公の存在の「違和感」を理解しようとしている。そして各自の突飛な方法でそれに寄り添おうとしている。だから「落差」があまり生じないんだよね。でも、そのほんわかした「落差」が「空気」が心地よい。その自然体が心地よい。この人だけのものだと思う。
・からんでくる、いつも、不良
いやぁ。まあ、不良が絡んでくるマンガは多いけど、西森マンガでは不良がいつも絡んできて話をまわす。絡んできて、ボコボコにされる。それだけの役割(ロール)のヤツが多い多い。西森マンガでは、違和感を発する主人公と、それを取り囲む仲間たちで一種のサークルが出来ていて、その周辺に不良が定期的に配置されるんだよね。彼等が主人公たちに定期的にちょっかいを出すことによって、主人公たちの「立ち位置」が明確化される。そんな感じ。
つまり主人公たちのキャラを掘り下げるために不良が配置されて、定期的に襲い掛かるようになっている。外部との抗争を、抗争それ自体を目的として描くのではなく、主人公たちのキャラや精神を規定することを目的にして描く。そういう意味では少女マンガ的なんじゃないかなぁと、思ったりもする。
・シチュエーションごとのパラメーター化
西森マンガって、シチュエーションでタームが分けられている。
まあ、たいていのマンガもそうかもしれないんだけど、そのシチュエーションが「クエスト」風なんだよね。各キャラにパラメーターが用意されていて、そのシチュエーション内でそのパラメーターが増減する。たまに分かりやすく作中にグラフで描かれたりする。で、このシチュエーションというのが一定ではない。バトルマンガなら戦い、少女マンガなら新たな恋のライバルとかなんだけど、西森マンガのシチュエーションはその両方を混ぜた上にかくれんぼとか肝試しとか、モットどうでもいいこととか、なんやらかんやらでそれこそごった煮、カオス。
多分シチュエーションの性質よりも、その中でキャラクターがどう回るかに焦点を置いて描いているんだと思う。でも「恋愛」に中心をすえる少女マンガよりもそのふり幅が広い。私が西森マンガで一番驚嘆する部分は、実はコレ。
・手書きセリフ多っ!
今日から俺は!!」のころからずっとなんだけど、この人は「手書きセリフ」が多い。だいたいがキャラクターのひとりごとや、モブでの人に聞き取られない会話、モノローグ、掛け声、ツッコミなんかに使われる。
活字組みのセリフとほぼ同じくらい分量がある回すらある。『西森博之の手書きセリフとその効果』について述べただけで大著になりそうなくらい。たぶんid:izuminoさんが「漫画をめくる冒険」で述べている「神の視点によってスポットライトを当てられたキャラクター」以外が発しているセリフがこの「手書きセリフ」になる場合が多いんじゃないかなぁ?また、キャラと同時にスポットライトが当てられる対象として「台詞」もあると思う。同じコマの同じ人物が発している台詞の中でも重要度の低いもの。そんなものにも「手書きセリフ」は使われている。
で、この西森流描きセリフを私は個人的に「キャラのため息」と呼ぶことにします。これについては、また別の機会に分析したいと思います。
とまあ、思いついたまま書き出してみました。西森博之はやっぱりスゲー。皆さんの意見も聞かせてください。