常陸国大洗社にて神仏奇瑞を顕すの語

今は昔、常陸国*1に大洗磯前宮と云ふ社あり。村人、社頭に市を成し、よろずの海のものを商ふ。懇ろに神に仕え朝夕社に詣でける。

或時、尋常の風体に非ざる者等、数多具して来たり。街区に満ち、辻辻、郷舎を指して相哄笑す。霊地に非ざる処を頻に拝み騒ぐ故、村人怪しみて之に問はば、「がるぱん善きぞ」とのみ答ふ。又社に参りては傍に木版を頻りに打ち付け、五色の彩にて異境の兵具を備えし端正美麗の女衆を描けり。
常人とは異なる様なれども、海の産物を供すれば巨多の銭貨にて報いる故、村人之をがるぱんさんと号し、来る毎に饗応す。
其後、村人、国厨*2へと魚酒を貢ずることあり。然るに国司「当郡*3の贄既に到れり、重ねて持ち来るに及ばず」と云ひてえ取らじ。村人奇しく思ひて、府蔵の内を伺えば、果たして贄の魚は嘗てがるぱんさんに捧げしものにやあらん。

旧紀に曰く磯前宮は田邑帝*4の御代に少彦名神本地仏、薬師大菩薩*5が顕現せし地なり。神仏を厚く憑み奉るによりて霊験再び現れたるやと近郷の者は語りき。更に大洗社の別宮・酒列宮*6の名は海龍王さから*7の音転じたるもの*8なれば、端正美麗の女衆の画は竜女を描きしものか。此の如き話は唐土外典*9にも見えたり。

また或人云はく、常陸は慈覚大師*10東巡の地なれば、女衆は竜女には非ず、法華経外護の十羅刹女*11なりと。受持読誦の徳に応じて眷属を遣す。鬼女なれば、併せて弓箭砲雷を描き出すこともあらんとぞ。がるぱんさんは神仏何れの顕現やと聖俗交々語れども、終に分明ならず。

常陸国主、稀有の事にて之を国解*12申上す。上又此を賞し、更に三年の税を免ず。村人辻々及び岬の大塔に女衆の尊像を祀り食堂を設け、市の傍らにはがるぱん堂を建て、弥々懇ろに供養しける。

末法以後の本朝に於て神仏交々瑞応を顕す、まこと奇しきことなりとなむ語り伝えたるとや。


〈現代語訳〉

茨城県大洗磯前神社に神仏の奇跡が起こる話

昔、常陸国茨城県)に大洗磯崎神社という社があった。村人は社の前に市を出して、海産物を商って暮らしていた。神への崇敬厚く、朝夕お参りを欠かさなかった。

ある時、ただならぬ姿形のもの共が大勢でやって来た。彼らは街に満ち、何もない道端や家を指差して互いに笑あっている。(聖地巡礼)村人は怪しんで声をかけるが「ガルパンはいいぞ」としか答えない。彼らは神社に参ると板絵を奉納する、そこには五色の彩(コピックマーカー)による兵器を持った異国の風体の女たちが描かれていた。(痛絵馬)
ここら辺にはいない人々だが、海産物を与えれば多く銭を出して買ってくれるので、村人は彼らをガルパンさんと呼んで、大洗に来るたびに迎え入れた。

その後、村人は常陸国府の御厨に税の魚を納めに行った。しかし役人が言うには「大洗からの税はすでに貰っている。度々持ってくる必要はない」とのこと。不思議に思って蔵の中を見せてもらうと、納められた海産物はガルパンさんたちに与えのと全く同じものであった。(ふるさと納税1億円)

九世紀の国史文徳天皇実録には文徳天皇の御代に大洗に少彦名神本地仏である薬師菩薩が現れたと記されている。村人が神を厚く尊ぶので霊験が再び現れたのだろうと近隣住民は語りあった。
さらに磯崎神社の別宮・酒列磯崎神社はサカラ竜王の名から採られたものなので、絵馬の女性の姿は竜宮の女官を描いたものか。このような話は唐代の伝奇小説にも見られる。

ある人が言うには常陸国は慈覚大師・円仁が巡礼した土地なので、絵馬の女は竜女ではなく天台宗の根本教典・法華経を護る十羅刹女で、法華経を信仰する功徳によって眷属を遣わされたのだ。
羅刹という鬼の女であるから、弓矢や砲雷を共に描いているのだろうと。このようにガルパンさんは神仏いずれの遣いであろうかと僧侶や俗人は様々に語り合ったが、最期まで分からなかった。

当時の常陸介(県知事)は世にも珍しいこととこれを中央に申し上げた。帝はこれにいたく感じ、三年の税を免じた。(観光庁による奨励賞受賞) 
村人は町中や岬の大塔(マリンタワー)に女の似姿を飾り、ガルパンさんのための食堂(ガルパンカフェ)を設け、市(プレミアムアウトレット)の傍にがるぱん堂(ガルパンギャラリー)を建てて、彼らを歓迎した。

末法以後千年近い日本において、神仏が混ざり合って顕現する。本当に有難いことだと語り伝えたとのことだ。

*1:律令国家の行政単位。神亀年間に信太・河内・筑波・白壁・新治・茨城・行方・香島・那賀・久慈・多珂等の諸郡となる。本説話の舞台である大洗は茨城郡に属す

*2:国府に関連する食糧施設。大洗からの税は京進の贄としてもよかったが、史料がなかったため、ここでは国府経営のための食料を上進する税とした

*3:茨城郡。前出

*4:文徳天皇。八五〇―五八在位。仁明天皇の第一皇子

*5:9世紀を中心に信仰された菩薩形をとる薬師如来神仏習合の象徴的な仏とされ、太秦広隆寺にもこの姿をかたどった像が残っている。延喜式に載る磯前神社の正式名は大洗礒前薬師菩薩神社

*6:酒列磯前神社。斉衡三年(八五六)に同じく顕現した

*7:娑竭羅竜王八大竜王や、観音二十八部衆の一人。護法の竜神で請雨法の本尊。娑竭竜王とも。

*8:たしか五来重が言ってた

*9:中唐の伝奇小説である柳毅伝などに見える人龍交流の説話を指すか

*10:天台宗山門派の祖・円仁のこと。茨城県内には承和寺など円仁創建と伝わる寺院が残る

*11:法華経陀羅尼品に説く法華経を読誦するものを守護する鬼神。

*12:平安時代から中世初頭にかけて下級の者が上申する際に用いた文書様式・解文の一種。国情や奇瑞などの報告として、諸国から太政官へと送られる