なんだか観光の暗い面ばかりをぶちまけているなあ。と、いうことでこのまま暗くいきましょう
今回取り上げるのは「幹事」という生き物についてです。彼らは誰もが手放しで楽しみたいはずである旅において、自分から周旋を買って出るという奇特な生き物と思われがちです。しかしそれは大いなる間違いであって、自分から進んで幹事を行う人間はまず間違いなく幹事中毒といってよいと考えます。同情する必要はありません。
この幹事中毒とは先々週の獣の論理と密接に関係します。旅先で集団行動をするということは臨時的な群れが成立することを意味します。この臨時的な群れでは普段の生活では影を潜めていた人間が急にリーダーシップをとるという現象が多々見られます。これが幹事という人種です。彼らは普段の生活ではリーダーに納まる人間ではないということが往々としてあります。そう、日常では彼らのスキル、行動力はリーダーのそれと認識されないほど微弱だからです。そういう人間は群れの構成員として充足しているのか?私は否と考えます。「支配欲を持たない人間は精子の段階で死滅している」と。彼らも群れのリーダーの座を狙う一匹の獣に過ぎないのです。つまり日常と違う空間での幹事という作業は擬似的リーダーシップに他ならないのです。
幹事を常習的に行う人間にあるのは善意ではありません、支配欲の発露なのです。本人がそれを自覚しようがしまいが。