私が旅行というものを「群れ」の概念で捉えている事は、半年以上前にお話しました。プランナーは常にイニシアチブを取りたがる猿山の猿であると。今も基本的にその考えから外れてはいないのですが、今回は精神衛生上、そういった我執の話を離れ、流される人。すなわちパックツアーを好む人達について論じてみたいと思います。
彼らはプランナーに比して精神を酷使することなき旅を好みます。食事はとっておきの場所でなければと何冊も雑誌やネットをハシゴして探したり、最短ルートを、と乗車時間より長く時刻表を繰ったりすることはありません。旅程はあらかじめ組まれたもので、食事場所、トイレの時間すら他人が決めた指示に従います。どちらがより健全かと問われれば、どちらも病的です。しかしそれこそがトラブルを語源とするトラベル・旅の本義なのだと考えます。
人は旅を通して日常からの離脱を願います。日常、すなわち予定調和の生活です。しかし旅の空は非日常の世界。そこにいどむ我らも非日常にならざるを得ないのです。普段は愚鈍でズボラで平和主義者な私が、旅の空では他人に対して強権をもて振る舞い、自分の秩序のもとに統括しようとするのもまさに非日常のなせる所業なのです。
同じように普段はワンマンで通っている人間も、旅の空ではツアーという秩序に統御され、バスの後ろでビールを飲むのを好む傾向にあるように思われます。だれもがかように綺麗な反転をするわけではありません。しかし、旅における非日常性はしばしば人に日常と反対の傾向をとらせるものなのです。
あらあら、いつのまにか比較論になってしまった。もし次回があるとすれば他律的な旅行者に的を絞って考えてみます。次回があれば、ですが。