疫気1

六月己巳(21日)
曇天。熱気疫気如晴天。煮沸麦茶。本日呑下二升也。


今日も暑いですなぁ。疫気も熱気も地獄の釜のように溢れる地方都市k。
だが、そこがいい。で、この時期になるとやってくるのが台風と疫病でございます。衛生環境が整っていなかった古代では、西の彼方からやってくる台風や長雨。それに伴う河川の氾濫や疫病の流行を鬼の仕業と考えていたのであります。というか考えるようになりました。おそらく平安前期から。
それまでは鬼(おに)という言葉は死者を指すものでした。赤くてツノが生えたふんどしのヤツじゃなくて。近世合理主義思想で有名な大阪・懐徳堂の富永仲基が唱えた「無鬼論」などで使われる「鬼」という言葉は前者に近いニュアンスがあります。
ですが平安時代より、「鬼」は疫病をもたらす生物と考えられるようになります。主に「疫鬼(えやみのおに)」という名前で登場するようになるのですが、当初は赤ふんどしの姿ではなく、形なき「モノ」でした。これが死者の体に取り付いて悪さをなすという言説はこの時代に生まれ、平安遷都を行った桓武天皇の息子である淳和帝も臨終の際、「自分の死体に鬼が取り付いて悪さをするといけないので粉々に砕いて散骨してくれ」と言い残しています。このあたりで死霊を指す言葉であった「鬼」と別個の人格を持った生物「オニ」が習合していく痕跡がうかがえます。
で、その鬼が具体的な姿を現すようになるのはいつかというと…。
それはまた次回。(「次回」って言って終わってない日記が何個あるんだヨ、コラ!!)