映像「権力」は、あるよ 〜TBSの初音ミクの扱いについて〜

初音ミクとオタクとTBS - はじめてのC お試し版
アッコにおまかせに初音ミク by すけ エンターテイメント/動画 - ニコニコ動画
これについて少しコメントをしてみたいと思います。

初音ミクの新しさについては私もこのブログの中で何度も述べておりました。
ココガスゴイヨ初音ミク - マントラプリの生涯原液35度
「声」という抽象的な媒体を頼りに、映像、設定、楽曲、様々な要素が有機的に結合する。しかもどこの誰とも知れぬ無人のそれでいて無尽の人たちによって。いわば完全相互インタラクティブに今の段階で一番近いのが「初音ミク」である、と私は前回定義しました。
TBSが今回取り上げたのは、オタクのツールとしての「初音ミク」であって、自身が推奨しているはずの相互インタラクティブの最先端の姿である「初音ミク」ではなかったようですね。残念、お互いにとって。
といっても今の段階でそういう捉えかたをしていたら逆に気持ち悪いですけどね。もう少し市場が拡大したら、そういう「理念」にも食いついてくるでしょうが、今の段階では視聴者にキャッチーな話題としてお届けする「オタクの生態」というククリでしかないのです。したがって瑣末な「オタク」「秋葉原」「オレの嫁」というフォーマット通りの映像作りをせざるを得ず、初音ミクも単なるパソコンソフトというくくりで済ませられています。
この鈍感さというか、フォーマット主義は「映像権力」のなせる業。というか宿命です。そこで今回は主要テレビ局を「映像権力」それ以外のMADやら個人が趣味で作るニコニコ的世界を「私的映像」と位置づけて、今回のような解釈をTBSが採った理由を考えてみます。
まず「映像権力」。いわゆる公共の電波に乗る放送局について考えてみましょう。「権力」というと横暴な響きを受けるかもしれませんが、多数の人間に常時影響を与えたり、言論を操作したりするのは「権力」のなせる業でしょう。在野のMADがいくら広がろうが、それ単体では「映像権力」になり得ません。それどころか今回のように映像権力側のカモにされることがオチです。
といっても映像権力側も相手を貶めようとしてカモにしているわけではありません。まあ、今回に関しては貶めていると取られても仕方のない向きもありますが…。それよりも映像権力が作る映像は「オタク的」になってはいけないし、なれない。何故ならそれは「公共」の電波として大多数の人間に伝播されるからです。
そうなると偏った作品作りは投書や苦情の対象となります。したがって内容の正誤よりも、オタクへの配慮よりも、視聴者にとって分かりやすい落としどころのフォーマットを選択せざるを得ない。今回の放送も分かりやすさを提供する「映像権力」の義務によってなされた放送作りの一環に過ぎないのです。
…が、そこに腹が立つ。大多数の人間のために少数の人間をカモにする。分かりやすい形で人に情報を届ける。日本人の半数以上がまあ納得するような放送をする。そのためにノイズは排除し、選別が行われる。
初音ミクニコニコ動画というところでブレイクしたボーカロイドソフトなんだ。これは声だけのソフトなんだけど、そこにMAD職人が手を尽くしてオリジナルソングをプロデュースしたり、兄貴を作ったり、プロモーション映像を作ったり、グラフィッカーがイラストを描いたり、ネギをまわしたりするんだ。それのどこが凄いかって?明確なプロデューサーや権力背後にいないことだよ。MAD職人は我々聴視者と別の存在ではなく、我々もレスポンスを送ったり職人に要望することで、初音ミクを作りあげていくことができるんだ。それだけじゃないよ。今はニコニコの中でMADの作り方やグラフィックの書き方講座まで盛んに行われていて、ニコニコユーザー内で職人が拡大再生産されているんだ。今はコメントだけの自分でも、いつかは初音ミクのプロデュースに加われる。そういう思いを抱けるってこと、これまでのヴァーチャルアイドル、ないしはテレビ局にあったかい。これはただのヴォーカルソフトじゃないんだ。完全相互インタラクティブがひとりのヴァーチャルアイドルによって成し遂げられようとする瞬間なんだよ」
こういった初音ミクの新しさを懇切丁寧に一般視聴者に概念から含めて説明し、理解させようとすれば、まずNHKのドキュメンタリーを作るぐらいの時間が要ります。「映像権力」は新しいニュースで飛びつくのは殺人と政治と芸能界であって、こういうことに時間を割くのはもっと後です。今は場当たり的な放送を流すぐらいの時間しか割かないでしょう。もっとも、気づいた頃にはもうブームは終わっているでしょうが…。公共権力のニュースは殺しと芸能と戦争と政治とスポーツと気象においてしか厳密にはニューではない。
当たり前の行為です。権力としては。私も権力を握ったらそうするでしょう。最大多数の最大幸福。ノイズのない分かりやすさを提供する。当たり前です。
が、腹が立つ。
今回のような取り上げ方は「映像権力」がある限り、され続けるでしょう。何より分かりやすさを提供しなければならない。正確さはその次です。しかしこれはテレビ局が、そこにいる人間が傲慢で偏見に満ちているからではない。今すぐトップの首を挿げ替えて、ニコニコユーザーを首脳陣に投じ入れても、きっとオタではない大多数の視聴者に理解させるための偏った映像作りをするでしょう。それが「権力」の義務であり、権利であり、傲慢。


だからまあ、権力の流す新しくないニュースは置いといて、我々だけわかる、それでいて後には世界に広がるであろう最先端のヴァーチャルアイドルを大切にしていこうじゃありませんか。一般に知れぬ、一般に理解されない「最先端」に触れているというのは、意外とコレ、蜜の味ですよ。
…だから私はいつまでもオタクなんだろうなぁ。