初詣

ということで久しぶり。生きてます、生きてます。
今回は初詣に行ったときのことをかきますよ。
目的地は関東最古、古事記時代以前の社・鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)です。ちなみに十世紀の律令の施行要領である延喜式神名帳には何故かその名前が見られません。中央とのパイプはあまりなかったようです。
で、近年はらき☆すたの舞台として有名になったこの地。私の実家・幸手から3キロほどの近さと言うこともあり、地元の友人のこまき氏に誘われて繰り出しました。
これがそのもようです。

やばいぐらい混んでます。アニメの影響力恐ろしや。まあ地元ではそこそこ有名な神社なのですが、ここまで混むようなところではありません。30分待ちのアトラクションと化しています。

参道も大渋滞でござる。で、傍らを見ると人がたむろしている場所があります。

そう、「絵馬」です。一時サイトなどでも取り上げられておりましたが、絵馬の多くにアニメのキャラクターが書き込まれています。これに対して
「神社を汚す行為だけしからん」
「オタどもの巣窟にするつもりか」
等の声があるのは知っていました。しかし私はこの考えに素直に首肯できません。絵馬はもともと、その名が示すとおり馬を奉納するという行事から始まりました。八世紀の出来事を中心に記載した「続日本紀」には雨を請うための馬の奉納の記事が何例も見られます。
貴重な財産である馬を奉納することによって、神に喜捨し、その見返りを求める。いわば賽銭の大口取り引きのようなものです。ことに鷲宮神社は板東の地に鎮座まします社。馬とともに生き、馬とともに死んでいった多くの板東武者の息吹が息づく地なのです。彼等にとって馬は家畜以上の存在、例えるならば「オレの嫁」とでもいうべきものだったのです。
馬を神社に奉納するという習慣は、徐々にその姿を変えていきます。そう「絵馬」の登場です。馬の変わりに絵に描いた馬を奉納する行為へと変っていったのです。昔の絵馬は、地方都市Kの北野天満宮に奉納されたもののように本当に馬と同じぐらいの大きいものでした。今でも八坂神社や香川の琴平神社には絵馬殿(えまでん)という建物が残されていますが、これは巨大な絵馬を安置するためのスペースでした。
平安時代からこの流れはありましたが、決定的に移り変わったのは近世においてです。小型の絵馬の普及により、「絵馬」を「奉納」するという行為がよりコンビニエンスなものへと移り変わっていったのです。そこでかかれる絵柄は自分の体の悪い部分(目など)を図像化したりと、当初の「馬を奉納する」と言った目的からかけ離れた方向へと向かっていきました。


一 自分のかけがえのない財産(馬)を奉納する。
         ↓
二 馬の代わりに絵に描いた馬を奉納する。(絵馬)
         ↓
三 絵馬が小型化、絵柄が多様化。


このような流れをたどったのが絵馬の歴史です。これを鷲宮神社のイラスト絵馬に当てはめると、


一 自分のかけがえのないキャラ(オレの嫁)を奉納する
         ↓
二 キャラが二次元なので奉納できない。だから絵に描いて奉納する。(キャラ絵馬)
         ↓
三 デカイとキモがられるので小型化。

きわめて自然な流れです。神社の既成のイラストが描かれた絵馬を奉納するより、より本来の絵馬の性質に近いのがキャラ絵馬といえましょう。なので上記の批判は「伝統」や「文化」から鑑みて的外れです。
次回は参拝の様子について書きます。