「文化」が「私有」できるかっ!

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080211-OYT1T00030.htm
痛いニュース(ノ∀`) - ライブドアブログ
…酷い、酷すぎる。600年来の建造物が一瞬で消失してしまう。再現可能な「史」(ことば)と違って、建造物はその質感、年代も含めてはじめて「存在」するのに。本当に壊れるのは易く、痛みは消えない。
で、まあ痛いニュースで取り上げて発言している人々が、すぐ「報復がある」とか「日本の所為にしている」という言葉に飛びつくのはどうかと思う。「文化財」を道具に使うな!「文化財」の詞の下に国に線引きするな!
そもそも「引き合いに法隆寺が燃やされるんじゃね?」と発言している人間は何を踏まえているのか?韓国や中国の人々が度々法隆寺を訪れるのは、それが世界最古の木造建築だからと言うだけではない。中国、朝鮮半島を経由して伝わった仏教の、建築様式の名残がそこに残されているからだ。彼等は「日本」の建築を見に来ているだけではなく、自分たちの往古の「建築」様式を確認しに来ているのだ。自分たちが成立に関わったものを、自分たちで「燃やす」なんて自殺でしかない。
我々(日本)だけで本当に「文化」を為しえたと、思っているのか。
聖明王との政治的取引なくして、仏教がまっとうに伝えられたのか?」
百済からの瓦博士抜きにして瓦が葺けたのか?」
「卍くずしの欄干をしつらえる発想はあったのか?」
「そもそも斗栱や垂木の工法を日本人だけで独想できたわけがない」

日本の「建築」文化は朝鮮半島、大陸の影響なくては為しえなかったし、その流れは環アジア的に広く結びついている。日本国にある文化財は、建築は「日本」のものであって、また、「日本」だけのものではない。「己」の殻に籠もって作り出せる「独創」なんて存在し得ない。なればこそ「文化」なのではないか。
そういうことを踏まえないで簡単に自分の、日本の「所有物」のように言えてしまえることが、悲しい。
と、同時に対岸の火事として、平然と南大門(ナンデムン)の焼失を眺めていることもまた、悲しい。
「漢字」と同じく、「建築」も真の国際的な存在だということ。一国のエゴじゃなくて、その構築にかかわった全ての文化が「共通」の歴史として守っていくべきものなのに…、もう、本当に、色々な意味で悲しい。
何故、「世界」遺産という詞が使われるのか。もう一度考えてほしい。