二次元人ヤフー

こんばんわ、みなさん。今日は二次元についてお話します。

「おいどんは今日から二次元人ヤフーになるでごわす」
「無理」
「なしてじゃ、ワシは二次元の世界で思うがままに萌えキャラたちと触れ合いたいのでごわす。その道行を邪魔するヤツはなんびとたりとも許さん」
「いやあね、キミ。常識的に考えてみなさいよ。人間には常に体積というものがつきまとってだね。たとえ鈍器で殴りつけたり、ジャンクマンにプレスされて『限りなくペッタンコに近いブルー』になっても平面にはなれないの。無理無理ムリーリョ」
「ぬう、オヌシには大望というものがないのか!!人は棒と棒が支えあって「人」と言う字を形成する。そのことを弁えれば容易く二次元への道が開けるものを」
「?」
「クッフフ、おいどん以外誰も気づかなかったコロンブスの卵とじカツ、ないしはコペルニクス的癲癇の発作。」
「洒落はいいから早くお言い」
「つまりは人は支えあって初めて立つ漢字。立つとはつまり三次元のこと。ここから支え棒を除けば、『人』は立つことあたわず、倒れこむはず!!これこそが二次元への道っ!!」
「…で、結局どうやるの、ソレ」


上記の例にあるように、人間は形而上と形而下が混然とした世界に住んでおります。そういう意味では我々はすでに二次元の世界に住んでいるのかもしれませんね。でも、一寸考えてみてください。アニメの世界はよく「二次元」という名で呼び表されます。が、ホントウにこれは二次元なのでしょうか。
と、いうのは二次元を我々に伝える媒体。例えばマンガの紙であれ、テレビのブラウン管であれ、すべて体積を備えております。これらに投影することで我々は二次元を二次元と自覚します。二次元を我々が自覚するためには、一旦三次元へと投影される必要があるのです。
となると「オレは阿部高和とケッコンするぜ!!」と二次元に飛び込もうとする人間の真なる願望は、「三次元への投影」という過程を経ずして、二次元を自由に行き来したいということになります。つまりは「より円滑に二次元へとバイパスしたい」ということになります。
で、さらに問題ですが、我々の通年として、「二次元の世界」にはこれらのキャラクターが自由に闊歩する夢の国。いわばディズニーランドのような、永井豪世界のような、過去のあらゆるジャンルの二次元人が総集合するドリームワールドを自然と想定していることになります。
ここで問題が発生します。それはこの二次元が
一過去の人類の抱いたキャラが総集合するアカシックレコード的世界
二思い描く個人の頭の中だけが具現化されるドリームワールド

のうちのどちらであるのか、ということです。
一の場合はエライコトニなります。現在の地球の人口の数兆倍の二次元。つまりはラスコーの壁画から、工事現場のおじさん看板やら、法隆寺釈迦如来像台座のちんこのラクガキやらの「二次元」が渾然一体として浮遊している世界ということになります。その中から成立して数十年の歴史しか持たない「我々の好みに合致する萌えキャラ」を探すのは地球全体から一粒の砂を探し出すくらい困難な作業となります。いわば地獄。
となると我々が想像し、夢想する二次元とは後者のことになりますね、ハイ。我々はその世界を具現化して、その中に飛び込もうと考えるわけです。
つまり常時使われる「二次元」≒「自分の思い描く脳内世界」となります。こうなると二次元といっても「偏在」する二次元ではなく己の世界の投影にすぎなくなり、すこしちっぽけなものになってしまいますね。この世界は他人と共有できない。己だけの孤島ということになります。パノラマ島奇譚です。
しかし孤島の二次元を抱える我々も、分かり合う手段があるのです。それが「キャラ」です。長くなったので、次回に続きます。次は「俺の嫁」という言葉を媒介として「二次元のシェアリング方法」について考えていきたいと思います。