わざとらしく、いこう

わざとらしく、いこう。
誰のものでもない、じぶんだけのじぶんなんて、ない。
人は一人ひとり別の人格を持って生まれてくる。だけど皆、誰かのコピーだ。それを際限なく切断して切り分けていった複製品だ。
だから、人は、人になるために、自分を「おのれ」というあやふやな枷で縛る。他人を見下し、妬み、羨み、理想化することで、自分を「孤立」させる。それこそが「自分」である、「個性」だ。その程度であり、かつそれだけの価値がある「かけがえなき」量産品だ。
わざとらしく、いこう。
人は一人ではない。だけどもそれは救いではない。「ひとは一人生まれ、一人死ぬ」なんてうそだ。関係の中で生まれ、関係の中で死ぬしかない。そのなかの「孤独」や「ひとりぼっち」は、きっと、真に一人になりきれない心が生んだ殻だ。
みんなから生まれ、みんなのなかにしかない自分。みんなからしかみえない自分。「本当の」自分もきっと「誰か」に見て欲しいことを前提とした自分。
わざとらしく、いこう。
一人になるために。一人でないことを思い知るために。己を信じるために。
わざとらしく、いこう。
肩肘を張ったりしよう、いからせたりしよう。しっくり来たいと望むものを、自分に引き寄せるためにも、わざとらしくあることを、大切にしよう。
つづけよう、わざとらしさを、そしてなろう、自分に。
おてんとうさまを、種のぎむを、忘れられるぐらいのわざとらしさを。
積み上げよう。