結城・漫・遊記


━【建長6年(1254年)2月24日】━

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                     ━【結城朝光歿 享年87】━


04:31
やる夫は鎌倉幕府を―― 巻五十九
「やる夫が鎌倉幕府を成立させたようです」ついに結城朝光(ゆうきともみつ)が死んでしまった。明日(というか今日)は追悼のため下総国結城郡に行ってくる。

思い立ったのはその日の朝方でした。
私が数年前から愛読しているスレッド「やる夫鎌倉幕府*1がいよいよラストに近付いてきました。そしてシリーズを通して登場し続けたキャラクター・結城朝光(ゆうきともみつ)が今回の更新で終に舞台から退場することとなりました。
結城朝光は平安末〜鎌倉中期の武将です。秀郷流藤原氏*2の小山一族*3の庶流で、野木宮合戦*4の功績で下総国結城を源頼朝から賜い、結城朝光と名乗るようになります。梶原景時*5と並ぶ頼朝の懐刀として源平合戦を戦い抜き、承久の乱でも東山道*6の指揮官として朝廷と戦いました。詳しいことは私の過去の更新を読んでください。
下野の虎・小山氏 - マントラプリの生涯原液35度
ここまでスレを見守り続けた私としては、何が何でも供養せねばおさまらん。ということで、一路、結城へ。

10:38
下総国結城なう。


ということで結城市到着。私の住まいの笠間からは愛車・波速号(なみはやごう)*7にまたがってでだいたい一時間位の距離にあります。下総国結城郡(しもうさのくにゆうきぐん)。現在の茨城県結城市を中心とするこの地域は結城朝光を祖とする結城氏の本貫地であり、結城紬の生産地なのです。
蔵造りの家が立ち並ぶきれいな街です。あんまし観光地化してない町なんですが、三月までひな祭りということで蔵造りの家々にひな人形が飾られていました。茨城県では石岡*8や真壁*9もひな人形の公開を行っています。ひな祭り一色の県・茨城。

10:45
つむぎの館なう。紬(つむぎ)は常陸国風土記*10以来の茨城の産業で、結城氏初代・結城朝光によって結城の地で本格的に奨励され、昨年、世界遺産にも登録されました。さすが結城朝光。

第一目的地はつむぎの館です。ここは株式会社・奥順(おくじゅん)によって経営されている結城紬の総合施設です。館内では結城紬に関する展示や、販売、アウトレットショップもあります。予約をすれば染織体験もできるそうです。興味がある方は、是非。ちなみに染織体験の施設の名前は織場館(おりばかん)と言いますが、キーパーのオリバー・カーンとは一切関係がないと、思います。
古代ではあしぎぬと呼ばれ、名前の通り、絹より一段劣るものと考えられていました。古代の追加法集成である「延喜式」にも下総や常陸国の貢納物としての記載がみられ、この地に1000年以上根付いている産業であることがわかります。
絹は本繭から作られていますが、紬は品質の劣るやくず繭から作られます。光沢が絹よりも鈍くうっすらとしています。そこが逆に通人に取り入れられたらしく、江戸時代に内着から外出着へも使われるようになりました。
ちなみに結城の語原ですが、平安初期の書物「古語拾遺」に木綿木(ゆうき)とあり、繊維産業が由来であることがわかります。徹頭徹尾、繊維産業の地なのです。結城。
結城紬の製作工程は大きく1真綿かけ→2糸つむぎ→3絣くくり→4機織りの四行程に区分できます。このうち3絣くくりが最も技術と今期を必要とする工程になります。結城紬の染織は織った後でなく、織る前の糸の段階で行われます。完成図をあらかじめ作り、糸一本一本を色の配置図を参考に全体を染織します。さらに必要な色の部分だけ絹糸でくくって、脱色する。それを数回繰り返す。気の遠くなるような作業です。2010年の11月に世界無形文化遺産*11に指定されましたが、伝統だけでなく、超絶技巧も加味されての選定なのです。

11:08
NHK朝のテレビ小説・鳩子の海でヒロインの防空頭巾に使われたのが結城紬。ちなみにこの鳩子の海の舞台は、山口県上関町*12の長島という島で、私の父方の実家。

つむぎの館では鳩子の海を猛プッシュしています。といってもこの連続テレビ小説、今から36年前のものなのですが…。舞台になった上関町ですらここまでのプッシュはもうしていないというのに。
ストーリーは広島に投下された原爆によって記憶喪失になった少女・鳩子が瀬戸内海の港町(上関町)で育てられ、後に放浪生活を送るというドラマらしいですわ。記憶喪失のくせに放浪生活を送れるなんて「人造人間キカイダー」の光明寺博士*13や「河童の三平」の母親みたいですね。劇中の音楽は冬木透。ウルトラセブンの劇中曲の作曲者です。
多分上関町民は鳩子の海は知っていても、本州の反対側で今でもプッシュされ続けているなんて、思いもしないでしょう。

12:22
結城紬メーカーの奥順さんでネクタイと名刺入れを買っただよ。

結城紬の象徴である亀甲紋があしらわれているものを購入しました。亀甲紋で構成された文様の内側に十字(十字絣)が施されています。シルクの滑らかさとは違う、ざらっとした手触りが特徴です。これがあしぎぬの感触であろうかの、と。

12:36
結城城なう。治承年間に結城朝光によって建立されたとするが、実は南北朝期以降に築かれた可能性が高い。結城合戦で結城一族が一年間近く立てこもり、戦った場所でもあります。


結城紬はこれくらいでメインディッシュに移りやしょう。ここは結城城(ゆうきじょう)。結城城(ゆうじょうじょう)でも、結城城(ゆうきき)でもない。結城城(ゆうきじょう)。
中世以来の結城氏の居城です。徳川家康の息子にして最後の結城氏主君・結城秀康(ゆうきひでやす)が福井の地に転封されるまでずっと居城でした。
東岸にある田川(たがわ)を生かした構造になっています。結城合戦*14ではこの構造によって1年間戦い抜くことができたのです。
24万平方メーターの広大な敷地に展開する平城です。茨城県は土地が広大な割には開発が進んでいないため、他の関東諸県に比べ平城が良好な形で残っている気がします。つくば市の小田城*15なんかも広大な平城全体が良好な形で残っています。

12:46
城跡には聡敏神社(そうびんじんじゃ)という神社あり。ここ、三河武士*16随一のドキュンこと水野勝成(みずのかつなり)を祭っている。この人の伯父(水野信元)が山岡荘八*17の「徳川家康」の一巻では悪の権化のように描かれているのは、史実に比してかわいそすぎる。

水野氏は愛知県瀬戸市水野を本貫とする戦国大名です。戦国期は徳川との同盟関係の後、織田に臣従。その後徳川家の家臣団に組み込まれ、江戸期には徳川家の譜代大名として存続しました。
水野勝成。どうドキュンか。律儀者と言われる三河武士の中では珍種で、たびたび軍令違反を犯して勝手に突進してしまう。あまりのアレっぷりに父親から勘当を受けて諸国を放浪し、士官先を転々とする羽目に。また生涯現役の勇士としても名高く、なんと島原の乱まで前線で戦い続けました。
で伯父・水野信元は徳川家康の母・於大の方(おだいのかた)の兄。つまり家康の伯父さんでもあるのです。てことで水野勝成は家康のいとこなのね。
山岡荘八徳川家康、一巻読むと水野信元が家康に立ちはだかる敵になるんだろうなー、と思ったらそのあとでてきやしねぇ。とんだ肩透かしを食らってしまいましたね。しかも史実では信長の同盟者的なポジションでありながら、家康を叱咤激励するいいとこもある人。さらに信長に難癖付けられて処刑されてしまうかわいそうな人なのです。なのに、なのに、極悪人扱い。かわいそうな水野信元…
何故結城氏の居城に水野氏の神社があるのか?結城氏が福井に移った後、結城は廃城になっていました。で、後に水野氏がこの地に再興された際、城も使われるようになったのです。水野氏の中でおそらく最も有名(と思われる)な水野忠邦の墓もこの近くにあるんですよ。

13:38
結城市内の赤ざわという蕎麦屋で昼食。ちたけという珍しいキノコをけんちん汁にしたちたけそばをいただく。もさもさした食感が美味しかった。


で、家に帰ってから「ちたけ」を調べてみましたよ。正式名称は乳茸(ちちたけ)。栃木県周辺でよく食されるキノコらしいですわ。で、栃木県周辺で「ちたけ」の名称が使われるらしい。ちたけそばもこの地域の名産らしい。ちなみに茨城県結城市は栃木県小山市に隣接しているので、ちたけ文化があるのね。

14:01
称名寺なう。結城七郎従五位左右衛門尉上野介朝光*18法名・日阿)の墳墓に巡拝。なう。色とりどりの花が供えられており、いまだに敬愛されているんだなぁと、実感。もしくはやる夫鎌倉の愛読者が私より先に巡礼したか。

ついについについに目的地に来まぁしたぁ。
結城市の中心に位置する称名寺。ここは浄土真宗の寺院で結城朝光によって創建されました。開基は親鸞の高弟・真仏(しんぶつ)*19です。
茨城県浄土真宗王国です。新潟に配流された親鸞は赦された後、常陸国の稲田(いなだ)に移り住みます。そこで20年間にわたる布教を行い、真宗の基礎を築きました。主著「教行信証」もこの地で編まれたものです。「歎異抄」を著した河和田の唯円(かわだのゆいえん)*20を始め、初期の弟子の多くも常陸国の出身者です。
結城朝光を始め、小山党の人間は多くが浄土真宗に帰依します。兄の小山朝政(おやまともまさ)*21は朝光と一緒に出家。義兄弟の宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)*22は京都で親鸞に帰依して出家。頼綱の養子・笠間時朝(かさまときとも)*23親鸞を庇護し、稲田の草庵を提供したのも彼だと考えられます。朝光も自信の法号を日阿(弥陀仏)としている帰依っぷりです。
で、出家する前からかなり信者だったらしく、源頼朝の死後「二君に仕えず」と言って浄土教への帰依を強めます。それを聞いた同僚の梶原景時

梶原景時「二君に仕えずとはどういうことだゴラァ?頼家(頼朝の嫡男)様は仕えるに値しない主君ってことかぁ?」
となります。で、その話が大きくなっていって…
阿波局*24「ウワサだけど、梶原景時があなたを頼家さまに讒言して、誅殺しようとしているらしいわよ。ご用心なさいな」
なんて噂に。
結城朝光「へー、こまった。友だちの三浦義村に相談してみるよ」
三浦義村*25「景時の奴、『二君に仕えず』なぞ言葉のあやではないか。あやつの讒言で殺された御家人は数知れず。かといって戦争するわけにもいかぬしな…。とりあえず署名活動だ!」

で、署名を募ったところ38人の御家人(しかも全員が幕政の主要メンバー)が集まり、逆に梶原景時の弾劾裁判へと発展していきます。そして翌月には梶原一族は鎌倉から追放。そして翌年正月二十日。駿河国清見*26で追討軍によって景時以下、一族誅殺の憂き目にあいます。弾劾する側が、返す刀で弾劾された、と。結果的に結城朝光の浄土信仰が梶原景時の死に繋がったというわけです。
そんな結城朝光の浄土信仰の結晶が称名寺なのです。スゴイデスネー。「二君に仕えず」と言ったものの、今後も結城朝光は幕政に参与し、承久の乱では東山道方面軍に参加して朝廷と戦い続けるのです。この時代の人がすごいのは出家と殺戮を両立しているところだなぁ、と個人的には思います。「現代は仏教界の退廃の時代」と言う声をよく聞きますが、現代より仏教界が血なまぐさくない時代もまた、日本史上に見当たらないんですが如何?「だから退廃しているんだ」という声もvice versa(逆もまた然り)。


結城朝光墳墓。境内の傍らに堂々と鎮座ましています。
オレンジ、青、白、いろとりどりの花々が供えられていました。
まるで、近来の死者を弔うかのように。
結城朝光が亡くなったのは建長六年(1254)二月二十四日。今から757年前の話です。
鎌倉五山筆頭・建長寺が創建された一年後。そんな過去の事蹟であるのに。
花は、鮮やかに生きていました。
結城朝光は今も、生きているんだなぁ、と。
それが分かったのは今回の旅の収穫かな。
帽子を取り、手を合わせ、その場を後にしました。


結城・漫・遊紀、これにて、完結。

*1:2ちゃんねるのマスコットキャラクター・やる夫を主人公に鎌倉幕府の成立を描くスレッド。主人公やる夫扮するは足利義兼、義氏親子

*2:将門の乱で平将門を打ち取った藤原秀郷を祖とする一族。北関東を中心に広く分布する。籐姓藤原氏や小山氏が代表的な氏族。奥州藤原氏も秀郷の後裔を名乗っているがおそらく自称

*3:小山党。下野国小山を中心とした氏族。結城朝光の父・小山政光の代に太田郷(現・埼玉県久喜市)から小山に活動の拠点を移し、小山氏を名乗る。戦国末期まで小山の地に存続した

*4:源頼朝の叔父・志太義広と藤姓藤原氏が結託して起こした争い。下野国の野木神社を中心に戦いが展開したことからこの名がつく。この合戦の勝利によって源頼朝は関東一帯を勢力下に置いた

*5:良文流平氏(よしふみりゅうへいし)鎌倉党の一員。頼朝の懐刀にして御家人の監察役。侍所別当として権勢を誇る。詳しくは後述

*6:古代の行政区分。現在の中央高速沿線がその範囲

*7:私の愛車。波のように速いので波速号

*8:茨城県の都市。古代には常陸国国府があった

*9:茨城県の都市。加波山のおひざもと。古い町並みが残り、近年、伝統的建造物保存地区に指定された

*10:奈良時代常陸守だった藤原宇合(ふじわらのうまかい)によって編纂された地誌。ヤマトタケル伝説を多く載せるのが特徴

*11:ユネスコによって2001年に制定された。世界遺産無形文化財バージョン。日本ではこのほかに能や文楽、歌舞伎が指定を受けている

*12:山口県の瀬戸内海側に浮かぶ島。古代は竈戸ヶ関と呼ばれ九条家延喜式の紙背文書(清胤王文書)にもその名がみられる。中世、近世を通じて貿易港として繁栄した

*13:伊豆肇が演じる博士。記憶喪失で全国を放浪する

*14:永享十二年(1441)から翌年にかけて起こった戦い。鎌倉公方足利持氏の遺児を擁立した結城氏朝と幕府軍の間で戦われた。この戦の敗北によって氏朝は自害。結城氏は一時廃絶した

*15:常陸守護・八田氏の嫡流にして、戦国随一の常敗の将・小田天庵さまの居城

*16:徳川家臣団を呼ぶ時に使われる呼称。頑固でめんどくさい人たちが多い

*17:昭和の小説家。代表作は昭和25年から17年かけて連載された「徳川家康」。サザエさんやうちの祖母はこれを読むのに夢中になって貫徹している

*18:結城=名字。住んでいる土地から採る。七郎=小山政光の七番目の子なので七郎。従五位=官位。左衛門尉=衛門府という宮中警護の官職。尉(じょう)は二等官。上野介=上野国(現在の群馬県)の二等官。ただし上野国親王任国のため二等官が実質上の長官。現在の群馬県知事のようなもの。朝光=名前

*19:親鸞の高弟。稲田で親鸞に帰依し、栃木県高田の専修寺を中心に活動。真宗高田派の基礎を築きあげる

*20:常陸国河和田の出身。親鸞の門弟として親鸞の言行録である「歎異抄」を著す

*21:結城朝光の異母兄。小山党の惣領。西行法師より武家儀礼を伝授され坂東の武家儀礼の中心的な役割を担う

*22:下野国宇都宮を中心に活動する宇都宮氏の惣領。小山政光の養子となる。歌人でもあり百人一首藤原定家に作らせた

*23:宇都宮氏の一門で笠間の領主。義父同様歌人である。京都での仕事が多く三十三間堂に寄進された千手観音にも名前が残っている

*24:北条時政の娘。源義経の同母兄・阿野全成の妻

*25:良文流平氏。三浦氏の惣領。永井路子的には幕府内のテロ事件の多くに関与した悪人。結城朝光と仲が良い

*26:静岡県蒲原郡にあった関所。明治には西園寺公望の別荘があった。現在は明治村に移築