2011-06-20

20:18
私が司馬遷史記の史客列伝の中でもっとも好きなのが、予譲(よじょう)の復讐の話である。

20:25
予譲は主君・智伯の仇を討とうとするが、失敗する。この話の良いところは主君であった智伯が必ずしも善人でないところだ。

20:30
仇として狙われる趙ジョウ子(戦国六国の趙の建国者)も、予譲に対して「なぜあんな男に肩入れする」と問い続ける。実際、「韓非子」などでは智伯のやられっぷりが克明に描写されている。

20:32
しかし予譲はこう答える「私を士として遇してくれたのは智伯だけであった、私はそれに返礼しているだけだ」と。

20:35
良いなぁと思うのは予譲は智伯の自分への態度に恩を感じているのであって、彼のパーソナリティや世間的な評判や地位に対して恩を感じているのではないということ。つまり感情の生き物であり、感情の刺客であるということ。

20:40
彼の言った「士は己を知るもののために死に、女は己をよろこぶもののために形作る(化粧をする)」という言葉。この二つとも自分を「遇して」くれたもの、己を「主体的に選んでくれたもの」への返礼であり、すなわち極めて、きわめて私的な感情の発露なのだ。

20:44
「死」へと動かす「士」の感情は、従ってきわめて個人的なものでなければいけないわけで、それを道具としてシステム化してしまった近世以降の日本の「士」の道徳は、予譲の感情論と引き比べると下劣に感じる。

20:46
士は己を知るもののために死ぬ、翻れば己を知らぬもののために早々と死ぬべきではないのである。

20:49
「死」も、「士」も、究極には己の感情のためにあるべきで、それを集団に容易く還元してしまてはいけないし、還元できてしまう程度のものには別の名前をつけるべきである。

21:02
でもこの話で一番えらいのは、狙われながらも予譲の心をくみ取って彼を何度も許し続けた趙ジョウ子なんだがな。それほどの男を自分の士や義の為にはねらい続けなければならず、そのプログラムに変更は効かない。

21:50
ダイレンジャー9話見てる。いよいよダイゴがメインのクジャク編スタート。鏡化粧師の登場シーンの音楽が変調して、後半の魔闘士ジンのテーマになったんだろうな。

21:59
ダイレンジャーの面白いのはサブキャラクターであるクジャク、阿虎丸、魔闘士ジン、3バカがそれぞれシシレンジャー、キバレンジャー・ホウオウレンジャー、リュウレンジャー、テンマレンジャーに対応し、シャダム=阿虎丸、ガラ=クジャク、ザイドス=ジン、3バカと、3幹部もそれぞれ対応する。

22:02
クジャク復活。当時はガラへの復讐鬼で、苛烈な戦士のイメージがあったけど、今見てみると思ったより声が可愛いいんだなぁ。

22:09
俺の中で戦隊ヒロインというとクジャクなんだよなぁ。次点がデンジマンのチーコ巡査。なぜかミドリの彼女ばっか。

22:15
「みごとだ、クジャク。見事な拳法だ」。とばっちりでボコボコにされることでクジャクに惚れるダイゴ。「叶うことなら、いつかおまえと試合をしてみたい」やっぱりこいつムッツリだわ、回路がちがう。

22:17
クジャクの羽を自ら受けて町民を救うダイゴ。いや、それ、救いたいからじゃなくて趣味だろおまえ。総武線を召還する方はやっぱり回路が違う。

22:22
「戦うしか能がないおろかものたちよ」。堂々とガラをdisるサクラ子爵。ゴーマ怪人ってノコギリ大僧正とか幹部より地位が高かったり、家柄的に上みたいなやつがチラホラいる。相対的に幹部の地位が低い戦隊もの

22:24
あ、ちゃんとサクラ子爵が爆死するときのエフェクトが桜吹雪だ。

22:26
さんざんボコボコにされたくせに脳内チャネリングでしきりにクジャクに語りかけるダイゴ。ボコボコにした相手にいけしゃあしゃあと語るクジャク。有る意味似合いのカップル。

22:29
次回のゴーマ怪人は磁石神父。ゴーマ怪人ってガマグチ法師、ノコギリ大僧正、ゴーマ四天王など僧籍を持ってる怪人がかなりの数いて、有力者であることが多い。ゴーマ族って祭政一致の神権国家なんだろうな。


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