2011-07-16

00:09
あ、思い出した。忘れていた思いついたこと、思い出した。

00:10
現代よりも、昔。モノがある時代よりも、ない時代の方が心が豊かだったという言説。私はアレが信じられないという話をしようとしたんだ。

00:12
心の「豊か」さを、心の穏やかさと置き換えると、それはそうかもしれない。しかし心の豊富さと考えると、それは違うと思う。

00:13
心は体によって生じる。そして体はモノを摂取したり、モノに触れたりすることで情感を育てる。

00:15
現代は圧倒的に豊富な種類のモノによって構成されている。したがって人間の心をはぐくむ体、体をはぐくむモノの選択の幅が幾重にもある、従って幾重にも多様な心が存在する。それは昔の比ではないと思っている。

00:18
昔は心が豊かだったのではない、モノが限られていたため心をはぐくむ先が、選択肢が限られていただけだ。それが狭い故にクラスタ分けが容易にでき、人々が共通項を実感しやすかった。今よりけものに近かったのだ。けものは臭いで他の生き物とある程度語り合う。それと同じだ。限定されているからこそ。

00:21
しかし、それが「豊か」であるとは私は断じて思わない。モノだけでない、心が豊かであるとも、思わない。今の方が世界の心は豊かである。人口が増え、人類のレア度が下がったにも関わらず、遙かに多くの心を、方向性を抱えていると思う。

00:24
モノが増えるほどに、人の選択肢は増え、ヒトの希少性は上がる。私はモノを信じている。モノによって溺れたとしても、破滅したとしても。その機会を与えてくれたモノを信じている。物質文明が心を多様にはぐくむと信じている。

00:28
モノを否定し、過去を語ることもまた、モノが生み出している価値観だ。モノは他者でもあり、人間の分身でもあり、定点でもある。だったら愛さないでどうするという話。モノという概念自体を否定するそぶりを好むなら、モノという概念自体を愛することも、なぜしないという話。

00:30
モノがこれだけ溢れているからこそ、我々は自分や仲間を過去ほどには「道具」と見なしていないのかもしれない、という想いに、なぜ至らないのか。

00:35
「モノ」のおかげで、ヒトをヒトとして見、生き物を生き物として見、道具的な扱いから切り離して思考できるのだと、思わないのだろうか。人権というヒト一般を概念化した不思議な価値観の基盤が、実は人とイキモノ、人以外の工作物を多様に対照できることの「わざ」であると、思わないのか。

00:39
心の幅は、過去よりもモノのおかげで遙かに豊かなのだ。それ故に価値観や方向性が共有しづらくなっていることこそ、残念ながら心が豊かになっている証左なのだ。でも喜怒哀楽の根元は、だれもがチャップリンを見たら笑えることから分かるように、そんなには変わらない。ただ方向性は豊かになっている。

00:40
…と、いうことを思いついて、忘れていた。

00:45
あと、金がある時代より金がない時代の方が、人に人倫があったという話もよくわからん。金がない時代の方が貯蓄やら投資やらの「待ち」の思考が共有されないから、容易く奴隷になったり、殺しあったりしたんちゃうん?

00:48
「今」は、どの時代よりも「今のわれわれ」に生きやすい時代にカスタマイズされた産物だと、やっぱり思うんだけどなぁ。現状に甘えるわけでも、それを認めるわけでもないけど。

01:13
願い続ければ夢は叶う、ということはないかもしれないが、外部にそれと分かるように願い続ければ、夢を叶えるための情報や機会は自然と寄ってくるようになるわなぁ。可能性は格段に上がる。

01:16
そういう意味で「運気」というものは確実にこの世に存在すると思う。「運気」というものを実体としてとらえられるよう、アンテナを張って生きたほうが合理的な生き方ができる気がする。

01:19
「運気」の流れを無視して、いつでも同じ現象が再現可能であるという迷信は、現代の方が過去よりも強くなっているのかも。気分をきちんととらえる事って大切だなぁ。

23:19
「モノ」に囲まれていること自体は選択肢を増やしてくれるという点で幸いであると、私は思っているのだが、その中で忘れてはいけないのが包括性のあるモノを選んで大切にしたり、金をかけたりする必要があるということ。スペシャル(限定的用途)よりもジェネラル(包括的用途)にお金をかけるべき。

23:22
今あちきがお金をかけているのは手ぬぐい。今日は栃木県益子の日下田藍染工房に行って有形文化財指定の藍染手ぬぐいを買ってきた。

23:30
手ぬぐいは形状も工程も単純な「モノ」だが。恐るべき包括的用途を備えている。タオル、ハンカチ、アカスリ、バンダナ、鉢巻き、アイマスク、止血バンド、ランチョンマット、メジャー、雨除け、壁掛け、めがねケース、筆入れ、書籍運搬用の手提げ、褌、半襟、ペットボトルカバー、ブックカバーetc

23:35
まあスペシャル(限定的用途)のモノに比べ、精度やフォルムは劣るのだが、人間力が発揮できる。包括的なモノに金をかけ、その元本を回収するために自身の精度とクンフーを向上させれば、人モノ一体の境地となる。そうなるとスペシャルなモノも今以上に使いこなすことができるようになる。

23:46
とりあえず今その境地に達するため、手ぬぐいを定規代わりに使っていつでもどこでも瞬時にモノの長さを測れる特訓中。縦90センチ、横35センチが平均サイズなので、これを基準に折りたたみして瞬時に適度な長さにできる訓練。慣れたら尺の単位にも適用できるよう自分を改造。

23:49
モノを愛する事って、自分を改造することだよなぁ。モノがあるから創意が削がれるのではなく、モノに油断をするか、包括的なモノに優先順位をつけないから、創意が削がれる。モノに甘えて堕落するのは、心が悪いのであってモノが悪いのではない。

23:55
藍の匂いはいいなぁ。緩やかな抹香臭さがあるんだよなぁ。実家が藍玉売ってた渋沢栄一も、きっとこんな臭いがしたんだろうなぁ。

23:58
RT @bigburn: 「井上敏樹氏脚本にて。『海賊戦隊 ゴーカイジャー』に結城凱 復活します!乞うご期待!!」マジかー! http://bit.ly/mWyR5X


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