2011-07-18

00:04
@hontuma ジョーはボクシングと心中したけど、飛雄馬は野球に腕を持って行かれたが、別の人生がその先にあることを暗示させている。巨人の星が、そのアイデンティティである巨人から離れて、別の人生に歩みださねばならない「リアリティ」って、自分の中では空前絶後のものなのですが、

00:09
@hontuma そういう、「生まれ変わり」を課され、夢に殉じて死ぬことができない飛雄馬に、絶えず生まれ変わって生きなければならない「一般人」の私たちは、よりリアリティを感じると思うのですが。当時の文化人は飛雄馬の「現実」よりもジョーの「情趣」の方に流されてしまうのでしょうかね?

00:25
@hontuma 「作品とともに死ぬ」ことができるキャラクターはとても幸せで、ジョーはその極地だと思うのですが、あそこまで作品とともに「死ねなかった」飛雄馬というのはマンガの枠を飛び出した、なにか別の存在だと思うんです。伝説とかそういうことじゃなく、もっと割り切れない、何か。

00:29
@hontuma そういう「割り切れなさ」、日本的な死の美学の外側に行った飛雄馬を。それでもカタルシスを得られる「不思議」を当時の文化人(今も、ですが)にはもっと語って欲しかったと思います。巨人の星はまだまだ全然本質的には語られていないマンガだと、思います。

00:39
@hontuma 共犯関係にある親子、でもそれが不幸だけでなく仲むつまじさも生んでいる。そこから抜け出て別の「星」をつかむためには、善き面も切らねばならず、半身を犠牲に捧げなければならない。ギリシア神話オイディプス王の悲劇を代表とする「親殺し」が両作品にもあると思います。

00:54
@hontuma あの最終回にはいまだにムズムズしてしまいます。割り切れないような、これ以上ないような。巨人の星は完結した物語じゃなく、今も「続いてしまってる」んですよね。だから、語らざるを得ないです。うー、語る場を作っていきたいですね。

09:44
御茶ノ水なう。今、遠くで誰かが阿部定と呟いた気がするが、阿部サダヲである可能性は否定できない、というかたぶんそっち。ポルノグラフティと町中で放語できるのと同じく、夢がない世の中になったものだ。

09:56
阿部定で思い出した。石井輝男の「明治・大正・昭和 猟奇女犯罪史」という映画で、生の阿部定が出演してるんだけど、撮影の間中、定を「綺麗だぁ、綺麗だぁ」とガン見していたのが土方巽で、その土方を「ヤベー、巽の身体能力ヤベー」とガン見していたのが小池朝雄という負のコンボを思い出した。

12:45
国立、中入り前の喬太郎の「寝床」。爆笑。ただ爆笑。苦しい。死ぬ。旦那の奇声とかたまらん。

23:38
馬越嘉彦 東映アニメーションワークス購入。おジャ魔女どれみの初期デザイン案にビビる。これだけでも購入の価値あり。


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