2012-01-17

12:09
落語ではよくご隠居が八、熊に例え話をする。しかし奴らはたとえ話そのものがよく理解できず、自分中心の解釈をして笑いを誘う。この「たとえ話を理解できない人たち」って、仏教説話の「例えをすんなり理解するということ」へのアンチテーゼとして発生した「笑い」ではないか。

12:11
落語の「優しさ」というのはこの「緩やかなディスコミュニケーション」というか、人間不信にあると思う。そしてそれは「極めて都会的なセンス」なのではないか。

12:15
ここで笑われているのは八、熊に思いきや、実はたとえ話が通じる前提ではなしている「ご隠居」なのではないか。「人間、相手の話なんざ、そんなにツーカーと理解できねえよ」ってのが、本来であり、逆にご隠居は視聴者側ではない、ロール通りに行動する他者なのではないか?

12:18
「人間はみんな違うんだよ」ってのが落語の良心であり、仏教から派生した諸芸能のうちで、はじめて本覚思想のアンチテーゼへと到達したものなのではないか。

12:21
本覚思想は、「人間も、動物も、草木も、生きているんだ。いずれ悟りへ至る友達なんだ」思想だが、落語は「いや、違うんじゃねぇですかご隠居。ありゃ畜生ですぜ。おれあいつらと一緒なんていやだ」ってあっけらかんと言ってしまう。

12:25
まあ、落語のアンチテーゼは仏教の揺りかごに甘えた形で構成されている面もあるが、これをもっと、どんどん押し広げると、本覚思想へのきちんとした「アンチテーゼ」になったんだろうなとも思う。

12:30
本覚思想は「あはれ」と結びつき、現在でも日本人のメンタリティを支配している。しかし、これは容易に他者への非寛容に転じる。相手が自分が思っているように考えないとイライラする、同じ日本人なのにわかりあえないのがおかしいという、「分かり合い前提」の病理だ。

16:02
@Izumi_asato 鎌倉仏教が、すべて天台本覚思想から派生していると考えると、日本人のコミュニケーションパターンの基は叡山にありってカンジで面白いですね。

19:40
やる男応天門。清和帝は今日決まった。文徳と陽成と醍醐がまだきまらん。

19:44
文徳の配役むずかし〜、いろんな意味で。どういう立ち位置にするか、天皇の中でこの人だけ決まらない。

20:40
村尾次郎の『桓武天皇』よんでる。「天皇は災難の人と言うべきであろう。式家の後援がなければ皇位はめぐって来なかった。しかし、式家と密着することは、この家の凶運とからみあう以外のなにものでもない」。この式家のひどい言われようよ。

20:57
@Izumi_asato ある意味好きに生きすぎた当然の末路の気も。運じゃなくて身から出た何とやらで、それ故いっそうたちが悪い、と。平城帝神経症も乙牟漏経由の式家の血があるのかなーと。


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