機械のからだ

偉大なるダイモニオン*1のお遣わしによって、私はこうしてポペラピーと生きている訳ですが、私とて人の子、鯰の孫ではあるまいな。悩み、怨みさまざまありんす。
今の悩みは私の自転車、ぽすころ号*2のことです。彼は少しの距離を乗るだけならば不便はないのですが、長距離になると先日の如く途端にヘタレ化します。本来ぽすころ号を始めとする機械の輩は人間の理想を体現する存在でした。すなわち、疲れることも死ぬこともなく、永久に働き続けるという理想を。人間の究極の理想はかくのごとき合理化、理性化であり、人間味などというものは本来その外にあるはずです。それを無理矢理組み込もうとするから人間同士の争いが起こると私は考えます。
人間味と呼ばれる情はその実、人間の最大の敵なのです。そしたら『冷たい機械のような人間ばかりになる』と人は言います。が、断言します。なりません。そしたらそういう人々になるだけで、冷たくなるわけではありません。あくまでそういう生き方にシフトするだけです。こういうシフトした人を『冷たい』と言って排斥する人間味とは一体なんなんでしょう。やはり人間は機械を志向している。そう思えてなりません。ひょっとしたらその逆かもしれないとたまに思ったりします。しかしそうなると生物の本来の姿が合理、機械ということになります。どちらにしろ、人間の延源には機械があるのです。なあ、ぽすころ号。

*1:デーモンの語源。ソクラテスも使っている

*2:私の自転車の名前。姓と苗字と官職と洗礼名は只今考え中。求む意見