内ゲバについて

「人は分かり合えないから救われないのではなく、分かり合おうとするから救われない」
というのが私の持論です。他人を無視して生きられればそれに越したことはありません。さらに皆が他人を無視して生活できれば人類は早急に滅びますが、人の心は今よりも平和なはずです、たぶん。

光の雨 (新潮文庫)

光の雨 (新潮文庫)

私が見たのは映画化された方ですが、なかったのでこちらを挙げます。昨日と同じ内ゲバの話です。
ここに書かれているのは連合赤軍という結社に属した若者たちです。彼らは来るべき革命に向け、群馬の冬山で射撃訓練を続けています。そもそも彼らは二つの異なった過激派が集合したものでした。その出来合いの組織が内ゲバあさま山荘という悲惨な末路に突き進んでいきます。彼らは別に銃で脅されたわけでもありません。共同生活を営もうとする同士だったわけです。事実最後までそうであり続けました。明日殺されるのが自分かもしれないのに、仲間をリンチして、殺していったのです。
ここで考えたのは彼らがバラバラだったから内ゲバが起きたのではなく、彼らが一つになろうとしたからこの惨事が起きたということです。総括(そうかつ)*1という名の死刑宣告も、最初は皆の心を一つにしようという目的から端を発し、いつの間にかその差異をあげつらい、反革命的と糾弾してその精神の矯正=処刑につながって行ったわけです。内ゲバの原因とは相互の無理解ではなく、相互理解の強制によって行われると考えます。その理解に齟齬が生じたとき、近いはずだった相手を最大の敵とする逆転現象が起きるのではないでしょうか。
私は世界人類は皆兄弟と考えていますので、この原理を当てはめれば「世界は内ゲバをおこなっている」ということになります。相手を理解しようと思う。その心が、心乱れる争いへと人類が踏み出し始めた原因と考えます。それがいいことなのか悪いことなのかはわかりません、「平和」と「善悪」は別の概念なので・・・。

*1:広い意味では「まとめ」のこと。この事件では、自分のこれまでの総括をするつもりが、いつの間にか批判会になり、処刑へと形を変えていった