時代は知るから使うへ

うへへえ。最近は私も擦れてきました。もはや小学生のころのように自分の絶対正義を信じて人を殴ったりとか、中学生のように体育館で生徒に総括したりとか、高校のように自分以外の世界をシャットアウトすることはできなくなりました。その結果小ずるくもなってきました。例えばこのブログ、数日前に書いたコンバット越前で「越前国織田神社」などと書いてしまいましたが、しばらくして「うげ、織田神社なんかねえよ。剣神社だった」ということに気づいて、そ知らぬ顔「越前国剣神社」と変更したりします。
こういうときにしらばっくれられるのがブログの便利なところですね。と、同時にこの「しらばっくれ」こそがこれからの知性のありようを示しているのではないかと思い至ったのです。うーん、マンダム。*1
まあ、順を追って説明していきましょう。情報は昔はそれ自体が財産でした。情報を所有することで人は他者への優位性を発揮し、特権的な立場に立つことができたのです。しかしネットの普及とともに世界中の情報が簡単に手に入るようになりました。それまでは専門の機関や本を当たらないと手に入らなかった情報がパソコンを持っていればいつでも、どこでも手に入るようになったのです。今回の例のように情報をすかさず調べて差し替え、何もなかったように「しらばっくれ」られるのもこの社会になったればこそです。では、この時代に情報を財産とし、他者に対する優位性を保つにはどのようにすればよいのか?
ずばり、情報を経営する能力を手に入れることではないかと私は考えます。昔の情報の所有の仕方は、専門分野を中心としたある種オタク的な一点集中型のものでした。しかし大量に収集した情報から多くの人が汲み取る部分はごくわずか。ニーズはそれら情報のピラミッドの中でも底辺の部分にしか過ぎないのです。そこで情報所有も学際的になる必要が出てきました。皆が必要とする情報を分野を問わず幅広く手に入れることで情報を効率よくインプットないしはアウトプットできます。私の情報の中でも比較的多い特撮にたとえれば
それまでは仮面ライダーなら、関連する番組やヒーローそのものの特性などの仮面ライダー自体に対する情報を中心に押さえていればよかったものを、現代ではそれが同時代(70年代)に与えた影響、鳩山夫人や山本リンダ。ひいてはヒーローショーの普及や興行実態など、周辺にまで知識を及ぼさなければ知識の保持者の優位性、独自性は保てなくなってきたのです。
そこで効率よく情報を獲得するとともに、それを自分独自のものにするための味付けとして、情報の深化ではなく週辺への拡大による理論武装が必要です。アメーバのように柔軟かつ貪欲な知性の結合と解釈こそがこれから求められる“情報所有”のありかたなのです。

*1:チャールズ・ブロンソン。このコマーシャルからガンダムの名称が生まれたとか、生まれないとか