忘れた歌をおもいだす

「♪う〜たを忘れたカナリアは後ろのお山に捨てましょか〜」
す、す、す、捨てる。棄てる、ステル、ステルベン、死んだ。とにかくだ。自分の中に入れたものを棄てるのは、自分を切り捨てるのと同じだ。それが所有というものさ、さ、さ!そんなことをぐだぐだいうとるから我の部屋あかたづかんのだ、おろか。
そうさ、そうなんさ。我は捨てられん、ものもおもいもなにもかも。一切ガッサイぽーんと捨てて、出世間できれば、我も身軽に動けるものを。これじゃワシャヤドカリじゃよ。歩くに重く、住むに狭い。仮住いではないけれど、ついの住みかにゃちと重い。これがあれか、草枕の冒頭に言ってるやつか。「智に働けば角が立つ」つまり捨てまくれば世間にいられなくなる、強制出家、ないし処刑。「情に棹さしゃ流される」ゴミや人を抱え込みすぎれば自分がなくなる。
わはは中道はムズカシイ。極端な人間が両極にぶれてしまうと思いがちだが違うね。曖昧な人間ほど寄るものを求めてぶれるんだ。極端な人間。ある意味「悪」と呼ばれる人間の方が中道を選ぶ度胸がある。捨てるもの、捨てられぬもの。そのどちらもなにかに頼っているのかもしれないねぇ。飽物の世に生まれた我等は「歌を忘れた」のかもしれないです。