腹減りにけり秋

天高く、馬肥ゆる秋と申します、また「食欲の秋」とも申します。しかしそれ腹が減っても食うものがある人間の台詞。食うものもなく、所在無き我は「腹がへります、腹がへるー。朝飯くいたし、金はなしー♪」という北原白秋の『雨』の替え歌を歌って股肱をしのぐしかないのです。
私は腹が減ったときは
①逃避する ②腹が減っていることを忘れる ③霞を食う
という三パターンの行動をします。・・・いえね。実際は「何もしない」ということなんですがね。しかし食料を摂取しなければ生きられない人体とは不便なのもです。小さき頃に父君や母堂やシャカムニセソンに教えられた、
「この世のあらゆるものは縁起の法で結び付けられておる。だから今そなたが食しているものが来世ではそなたかも知れず、そなたが来世ではそなたが食すものかもしれぬ。この迷いの世界を抜ける為には、ただひたすら涅槃への道を進むしかないのだ」
という訓示も輪廻も食物を摂取するための殺生さえなければ、意識する必要がないのです。また、隣人愛や世間やもろもろの周辺事情も、人間が他者を圧迫して食物を摂取することさえなければ必要ないものなのです。我々が助け合ったり、搾取したりするのは偏に自弁できないもろもろが我々を取り囲んでいるからです。そんなことも忘れ、「『いただきます』は自分で作った料理の場合は言う必要がないのではないか」という論調は平和ボケを通り越した強烈な乖離性を感じさせますね。我々が「個」人であるため。「個」人になるためにはまず霞を食って生きていく修行をせねばなりません。そしてだれにも与えることも、奪うことも、施されることも、奪われることもないように、カプセルホテルの中か宇宙空間に留まってモゴモゴ暮らす必要があります。
「それって楽しい?」「当事者になればきっと楽しいと思うよ」