霧の丹波

「マシンは僕だ、僕がマシンだ 男の命を 燃やすんだー!!」*1
ということで丹波・亀岡にある穴生寺(あのうじ)に行ってきました。ここは西国三十三箇所のひとつで、私の最寄り駅から二十分と、たいそう近い場所にあります。しかし逆説的に考えればそういうところほど行き辛いもので、なぜか今まで放置しておりました。
今回一念発起、すたすたひいたひたと亀岡駅へ。しかし凄い濃霧!!100メートル先が見えません。なんたること。最初は歩いていこういと思ったのですが、このような状態だと迷子になるのは必定。心はとうに世界の迷い子ですが、現実に道に迷うのは癪(しゃく)です。おとなしくバスに乗って付近まで行きました。
穴生口というバス停についてもまだ晴れません、霧。まさにキリがないきりきり。数歩先は闇、いや霧という恐怖を抱きながら歩みを慎重に進めていきます。地方都市Kのとなりにこのような霧の世界が広がっているとは思いもよりませんでした。闇ならば恐怖を抱き慎重にもなりましょうが、霧は白い闇。直接的な恐怖に訴えかけない分だけ、何だか非日常で、なんだかとってもきけんなものの気がするのです。霧に負けないように西国巡礼の白衣に着替え、気合を入れました、これならば道中に行き倒れになろうと供養されるはず。巡礼装束は死に装束。非日常には非日常で対抗するのです。正数×正数=+のように負数×負数=+なのです。
精神的+転換をしつつ、穴生寺にたどり着きました。この寺は奈良朝の官人・大伴古麻呂(おおとものこまろ)によって創建されたものです。彼は遣唐使として唐に行った際、席次が新羅の下だったのに堂々と文句をつけた気骨の人です。最後は橘奈良麻呂の乱(たちばなのならまろのらん)に連座し、拷問死するのですが・・・。薬師如来を本尊としているのですが、今は観音菩薩が西国巡礼の対象なのでそちらのほうが人気みたいです。
早速般若心経の読経、納札を行い、御朱印を貰います。それから本堂の内部拝観をお願いしようと受付に向かいました。しかし人がいない。しょうがないのでうねうねしながら待っていると、目にチラシが飛び込んできました。「西国三十三箇所先達の申し込み」。これを見るに、西国三十三箇所を満願成就した人間は金一万円を事務所に送ることで先達(せんだつ)になれるそうなのです。仁和寺のゴシップを書いたことで有名な兼好法師も「何ごとも先達あらまほしきことかな」と述べた、アレデス。*2先導者です、ガイドです、ツアコンです。
「・・・いいな、コレ」
あと六箇所で満願成就なので、その暁には先達として多くの人間を三十三箇所に先導するのもいいかもしれません。オリジナルの袈裟と袋も貰えるし。
その後は係の人が来て、中に入れてもらいました。多宝塔が遠景に見えるお庭や、鎌倉時代の寝仏を直接ぺたぺた触れるところがすさまじかったです。

*1:ダッシュマシンハヤブサ水木一郎の曲でも一、二を争う名曲

*2:ちなみにこのセリフが出た話も、仁和寺の僧が石清水八幡宮に行って本殿に参らずに帰ったという、一連の仁和寺話のひとつ