節分

節分の起源をたどりに奈良・法隆寺の西円堂修二会(しゅにえ)に行ってきました。
メンバーは宇多源氏くんとアナーキンくんと金剛神くんです。


詳しい内容はこの見学会に際して作成したレジュメを転載します。
修二会は悔過行(けかぎょう)という仏に対して懺悔する修行が祭りへと転化したものなんだ。この悔過は本尊を必要として、その本尊ごとに名前をつけられる。東大寺二月堂のお水取り(修二会)は十一面観音を本尊にしているから十一面観悔過なんだ。この西円堂は薬師如来を本尊としているから薬師悔過なのさ。
薬師悔過は修二会という名前から分かるように二月にやることがほとんどなんだ。それも節分の時期に。何でこの時期なのか、お兄さんがない頭をほじくりかえして考えてみたよ。聞いてね。聞かないと脳汁吸いだして殺すよ。
まず節分というと節と分に分けられるね。「節」は節約とか節制とかいうように区分すると言う意味がある。「分」も一時間を六十に分けているから、分かれたり、分数とかいう用法があるからこちらも区分だね。そう、節分とはズバリ「分ける」ということなんだ。何を?季節をさ。
 節分によって季節は立春(りっしゅん)、立夏(りっか)、立秋(りっしゅう)、立冬(りっとう)、に区分されるだろ?これらはそれぞれ季節の境目。境界。マージナル、ニート・・・あ、コレは違ったね。で、この時期に該当するのが立春(2月4日)、立夏(5月6日)、立秋(8月7日)、立冬(11月7日)だ。峠や坂が空間の境界だとしたら、この節分は時間の境界ということになる。「君たちも季節の変わり目には変なやつが出てくる」って言葉、小学校の先生のスピーチとかで聞いたことあるよね。そう、この時期は境界に当たるのでいろいろなモノが出てくる時期なんだ。ちなみに旧暦で換算しないと季節感と合わないからね。本来の節分は東大寺のお水取りのころだよ。ぽかぽかしてくるあたりだからね。法隆寺新暦に合わせてやってるだけで、季節感的には東大寺のお水取りの三月中旬のほうが節分の気候なんだ。
 で、この境界の時期が一番危険なんだ。老人の死亡率が多いのも旧暦の二月の節分だし、立夏は梅雨が来だして、立秋はひたすら暑いし台風来るし、立冬は急に寒くなって体調を崩す。このような季節の境目には災が起きやすいんだ。こういった暦を管理するのが陰陽師の役割だ。のむらまんさい。やつらは暦を管理してるから他人から見たら魔術師だよね。季節を操っているように見えるんでしょう。でね、ここからが本題。古代の修二会の一部は薬師悔過だったってことは述べてきたけど、その行っている時期に注目したい。弘仁十三年の八月一日、承和十年は五月八日、元慶二年は二月十三日に薬師悔過を修しているんだ。これらの時期は節分に非常に近い。すなわち境界の時期だ。その理由が物の怪と災疫を防ぐためなんだ。そして陰陽寮の申告によって修されている悔過が何例か見られる。また四境の祭という京都の境界線上で災いを払う祭りがあるんだが、これは陰陽師の言で行われたものなんだ。これと同じ境を守る行事に七高山薬師というのがあって、薬師悔過を行う寺院を比叡山(延暦寺)、愛宕山(神護寺)、ポンポン山(神峯山寺)、葛城山(高宮廃寺)、吉野山(金峯山寺)、比良山(最勝寺妙法寺)、伊吹山(護国寺)という近畿を取り囲む七つの山で行う七高山薬師悔過という行事が修されていたんだ。
つまり、空間においても時間においても境界は常に意識され、危険視されていたんだ。それを奏上するのが陰陽師で、その献策にしたがって修されることが多かったのが薬師悔過だ。この両者には密接な関係があるんだねぇ。最後にこの二つが明確な関係性を持っていたと述べられるあるものを紹介して、筆を置くよ。

節分といえば豆はでんろくだよね?(関東ローカルじゃないことを祈る)あの豆、甘くておいしいんだ。で、あの豆についてくる鬼のお面。知ってる?そう、鬼の普及に一役買ったのは陰陽師なんだ。鬼がなんで牛の角に虎パンかというと鬼門の方角である丑寅(ウシトラ)だから。つまり鬼は鬼門から来る目に見えない存在だったんだ。中国で鬼っていったら幽霊のことだかんね。つまりは怨霊ですな。そして日本では怨霊と疫気は極めて近いものだった。いや、たぶんごっちゃになったんだね。で、陰陽師は暦を支配するといったじゃない。暦は当然方角も含めておりまして、方角からデザインの源流をたどれる鬼と方角をつかさどる陰陽師。共通しますなぁ。さらに言おう。鬼の元ネタは方相氏(ほうそうし)といいまして、あ、ラッピングする紙じゃナイヨ!
「方相氏黄金四目。蒙熊皮朱裳、執戈揚盾」(続漢書)
中国風の正装をして頭に角、顔に赤地の仮面に黄金の目が四つ書かれたものを張ったエヴァのアダムのようなヤツさ。(ホントにあれそっくり)・・・というか金色の目、赤い顔、角・・・鬼じゃんカ!!
 疫気を防ぐため、このコスプレをした人に葬送の先払いをさせ疫気を払う役割を果たさせるんだけんど、古代日本では天皇と一品親王太政大臣しか葬儀に用いることができなかったんだ。この方相士がいつの間にか追う側から追われる側に転じてしまった。それが鬼なんだ。そして修正会、修二会の別名は「鬼すべ」「鬼追式」「追儺会」とも呼ばれ、最終日に鬼が毘沙門天によって追われる。つまり疫病が払われることを象徴しているんだ。薬師悔過を修する目的は災異を払うこと、それを象徴的に表しているのが薬師悔過の最後に行われる鬼追いなのだね。そしてこれが全国に広がり節分の豆撒きとなるのだ。その元ネタは陰陽道であり、薬師悔過と融合することで全国に普及、各家庭で節分が修されるまでになったわけだ。
 ということでその形を残した修二会を見るために法隆寺西円堂に行ってきました。