整然と性善説

いやぁ。いつもヒネた事書いているけれども、私は信じているんですよ性善説を。
人間は本来的には善であるってことを。しかし「本来」とか「根底」っていうのはいつでも立ち返れるものじゃないんですよね。むしろ踏みつけられる地盤に過ぎない。しかしそれは確かに善なのです。調和の世界なのです。一例を紹介しましょう。
例えば人間はコミュニケーションを必要とします。そしてルールに基づいて生きている。人間は例外なく人間社会のルールにしたがって生きているのです。例えばお金を出せば物が買えるなんていう流通のルールがそれです。どんなに頭がおかしいヤツも、悪人とされる人間も、みんなモノを買わなければ生きられません。未開の民以外は。しかし未開の民ですら仲間同士では物々交換でモノを得ます。人間には暗黙のうちに商品を交換するというルールが備わっているのです。この調和の世界は「善」なんでしょうか、「悪」なんでしょうか。これを「悪」とする人間は観測者でありながら、自身もその活動に加わっているので矛盾を犯すことになる。しかし「善」とするならばその活動に加わっている現状を肯定できる。私は肯定したい。無駄なイライラを背負い込む必要は無いと考えるのです。人間の本性が悪ならば、それを法によって外から規制することが正しい、と性悪説を唱える荀子は考えます。*1しかし無意識に我々は共通の地盤の上に組み込まれる性質をもっているのです。誰も経済というルールにつながって生きること自体には抵抗を示さない。物々交換の平等性を求めることを本能のうちに行っている。その暗黙の了解こそが「法」の原点なのではないでしょうか。そうなると暗黙の了解は「善」なのか「悪」なのか。しかし性悪説に基づきこれを「悪」とするならば、そもそも法が人間世界に介入できる地盤すら失われるのではないでしょうか。法を理解する心。無意識のうちに従う心。それは「善」でしかありえない。「悪」には地盤を作ることは為しえないと考えます。
また、荀子は人間を欲望的存在であると定義していますが、欲望が無ければお互いの欲望をすり合わせるためのコミュニケーションも存在しません。一人で充足している人間が、他者と繋がったり、仲良くしたりする必要がありますか?そんな生物は勝手に一人で充足していればよいのです。そこに法の生まれる余地はありません。その状態も一つの善ですが、コミュニケーションを欲望均衡のため必要とする我々の生き方も一つの善です。双方悪と定義する人間は・・・、それによって何がしたいのかよく分からない人ですね。
で、こんな前提の善は我々の世界を形作っていれども、我々を潤してくれるわけではないのです。そして潤しを得るために人は他人を「悪」として差別化をはかり、自分の「善」を確認するのです。しかし、その行為も「悪」なのでしょうか。私はこれすらも善に入ると考えます。
人間の愛は偏愛です。釈迦やキリストの説く愛は辛い。誰をも平等に愛するということは、誰をも平等に愛さないことに近い。そして善なる人間の本性のなしたる技、
「人間には誰も愛さないことなどできはしないのです」
そう、人は何かに執着を持ちます。それは愛です。死ぬ人は何にも執着を持たないから死ぬのではありません。絶望に執着をもって死ぬのです。「死へといたる病」は希望の喪失からではなく、絶望への執着から生まれるのです。人は心の中のものを手放すことなどできはしない。常に何かを愛する途中に死んでいくのです。そしてその愛は「善」です。愛は目的ともいえます。そして目的を抱くことこそが、人間を動かします。動かないと死ぬのです。動いて死ぬこともありますがごく一部です。その目的のために本来同じ「善」より生まれたものに「悪」という等級を冠し、排除します。しかしその行為こそ生きる執着であり、愛。生きるためのわざなのです。これは「悪」ではありえない。人間には「善」しかなく、善なるがゆえに悪というレッテルを必要とします。しかしそのレッテルを貼ることすら善なのです。生きるために貼るのです。
こんなことを言うと「そんな善は無意味じゃないか、それを善と人は感じない善なんて」と言うお方が出ると思います。だったら「悪」を作るしかない。善を無意味にしないためには「悪」を作るしかない。そして、そこで必要に応じて作られた「悪」は本当に悪なんですかねぇ?善のために悪を作ることはあっても、悪のために善を作るなんて戯言は存在しないし、そんな労力を払う暇は人の回路にはない。だから善は基盤であり、かつその善は踏みつけられ、意識されないものなのです。でも善だ。
だから私は性善説を信じます。絶望的に。

*1:ゴメン。法じゃなくて学問をすることで抑制するものだったかも。でも学問にしたって「悪」とされる欲望が無ければやろうと思わないわけだし。それ以外の欲望を「悪」として、学問に対する欲望だけを切り離して「善」と考えることはできないよね