コートは戦場 〜テニプリにおける「孫子」の軍争〜

ただいま、私このようなものを読んでおります。

孫子 (講談社学術文庫)

孫子 (講談社学術文庫)

ええ、まあ、読み始めた理由は平成兵制武力革命を企むからでも、ビジネス戦略の一歩先をいこうというわけでもなく、ただ単に「テニプリ」の真田弦一郎と手塚国光の戦いの分析の一助になれば、と思ったからなんですけど。ちなみに真田の技「風林火山陰雷」は「孫子」「軍争第七」において述べられております。この章は敵に先んじて戦場へと到達する法を説いた箇所で、上記の「風林火山陰雷」はその際の行軍の理想をもろもろのエレメントに例えたものです。会戦において戦地への一刻も早い到達は、死活問題となってきます。相手の機先を制すれば、戦地における備品の調達、兵の配置、地形の把握、休息。あらゆる策を弄することができるからです。その際に必要になってくるのが「風林火山陰雷」に則った行軍なのです。
つまりコートを国土だとすれば、ボールが敵兵。その機先を制してボールを打ち返せる位置に移動し、待ち構える。真田の風林火山陰雷は孫子の軍争編をそのままコートに置き換えた必殺の戦法なのです。しかし、さすがは孫子。彼は戦地への速やかな到達、風林火山陰雷の行軍のみが「軍争」のすべてではないと語っています。そう孫子のすばらしいところは常に「客観的」で「相対的」なところ。なにもこちらが動くだけが「軍争」ではありません。相手もまた、動いているのです。戦地へ到達しようとしているのは相手も同じこと。ならばこちらが相手と同じ距離を動く必要はないのです。敵がこちらにくるように仕向け、己は戦備を着々整える。相手を動かすこともまた「軍争」なのです。
その精神を理解してか知らずか、手塚が取った作戦は真田より早く動くことではなく、自分は動かずに相手のボールをはじき出す「マックスパワーの手塚ゾーン」でした。そう、動いて「軍争」を制しようという真田に対し、動かずに「軍争」を制しようという手塚。まさに動と静の鬩ぎあいがなされているのです。
軍争における最重要点は自軍を疲弊させず、相手を疲弊させて戦地へと至る事。然るに、両者己が身を削ってなされるのがテニプリにおける「軍争」なのです。
勝敗は「孫子」を読み解いても、未だ闇の中。