地域振興と観光二 〜地域の振興とはなにか〜

えー、話はますますおおきくなってるようですね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070725-00000925-san-soci
この記事、「古事記」時代以前*1の創建である鷲宮神社にオタクが群がって地域住民が困惑しているという論調で序盤と後半はまとめているのですが、取りあげている地元の反応を総合すると静観する声の方が多いようで、この記事が聖地巡礼をする人間を批判したいのか、そうでないのかよくわかりません。
それはそれとして、普段は人が群がらない場所に外から人が大量にやってくればオタだろうがなんだろうが警戒するのが人情というものです。「聖地」であることによる旨味が発生する、つまりは「観光地」として安定しない限り外からの人間というものは警戒されます。そしてアニメの「聖地」はフィルムコミッションなどと比べ、安定した「観光地」となりにくい。
これが前回までの内容でした。これに煎餅や塩竃、桐箪笥などのキャラクター関連商品をタイアップして売り出したとしても、アニメイト並の洗練されたものは望むべくもなく、東武鉄道と各市町村がタイアップしてスタンプラリーを設けたところで一時的なものとして立ち消えてしまうでしょう。
キャラクターを使った地域振興で最初で挙がるであろうステロタイプは、いずれも一時的な効果しか及ぼせません。
そこで「振興」のもう一つの面、①知名度の上昇について考えてみます。
今回の件で鷲宮をはじめ、幸手や久喜の知名度は上昇しました。特に幸手。難読です。初めて字面を見た人は「こうしゅ?」「しあわせて?」などと読みます。…皆さんも読んでましたか。そうですか。
「さって」です!!
このように、宣伝費用を払わなくとも私のような物好きが宣伝してくれる。春日部(かすかべ)だってクレヨンしんちゃんの作中で何回も繰り返し「かすかべ」という単語が出てくるからこそ覚えてもらえたのです。もしそうでなければ「はるにちぶ」とか「はるひべ」と読む人もいるでしょう。しかしアニメのお陰で全国規模に春日部の読みは知れ渡ったのです。
「自分の住んでいるところの地名が正式に覚えてもらえる」これは存外大きい意味を持ってくるのです。例えば仕事に就く時、合コンするとき、よその都道府県に行くとき、自分の住んでいる地域について聞かれることが間々あります。普通なら幸手について説明する際、
「埼玉県北東部にある市で、千葉県の突端と茨城県に面している場所にあって、そいでもって近世以前には栗橋の関で有名な栗橋の下にあります。漢字は幸せの手と書いて(さって)です!」
というめんどくさい手順を踏まなければなりません。しかしクレヨンしんちゃん以降では、
クレヨンしんちゃんの地元の春日部から北に五駅先の駅です。漢字は幸せの手と書いて(さって)です」
これだけで済むようになりました。しかも相手にとってイメージが掴みやすいし広がりやすい。言葉数は少ないのに、です。さらに今回の「らき☆すた」によって
「「らき☆すた」のこなたの地元です」
これだけで済むんですよ、アナタ!!五万人の人間が他県民に自己紹介をする際、言葉少なに己の住んでいる市を、しかもビジュアルイメージを伴って把握してもらえるんです。クレヨンしんちゃんに関して言えばスペイン人や中国人にも、都道府県っという概念を説明することなしに地元を紹介できるのです。これを経済効果に置き換えたら凄いことになります、実際。
地名を知ってもらえる、ないしは速やかに理解してもらえることがどれだけその地域の経済にとってプラスになるか。しかもアニメは日本の強力な輸出産業の一つです。海外の人に試供品も、何も送らずにタダで自分の地域を理解してもらえる。ドラマを輸入するより「二次元の絵」を輸入した方がビジュアルイメージは鮮烈、かつ人種を問わない広範な波及力を持ちます。
「アニメで地域を印象付けることは悪影響を与える」「恥が海外にばら撒かれる」
ええ、そういう声もあるでしょう。しかしナンパ好きのケツを出して踊る園児を描いた「クレヨンしんちゃん」が世界に広がっていることを、春日部市民は「恥」と思っているでしょうか。いや、思ってはいない。「知名度」は地域振興券やふるさと創生資金などの「千金」を出しても購えるものではないのです。そうであるからこそ我々は「知名度」を上げるためのみにばら撒かれるスポンサー代によって、民放をタダで見れるのです。「財源」という直接的なカタチで利益として現れなくとも、それ以上の効果を発揮してくれるものが「知名度」なのです。

今回は地域にとって受動的な「振興」について述べましたが、次回はアニメによって作った「知名度」に地域がどう「能動的」にかかわれるかについて考えてみたいと思います。
次回があれば、ですが。

*1:皇紀元年(今から2667年前)以前でしょうか。もしくは古事記の編纂が終了した712年以前という意味でしょうか。