日本的「自粛」の思想 〜空気を読まない放送自粛を批判するには〜

http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/manga/manganews/news/20070919mog00m200002000c.html
http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/report/archives/2007/09/post_19.htm
School Days」の最終回自粛やひぐらしの放送中止やらで、世の中大変そうです。騒擾にはかかわらず、君子危うきに近寄らず、といいますが、君子ではないので、少しだけ近づいてみましょう。
こういう話って、昔からありますなぁ。必殺シリーズの影響を受けてタクシー運転手を絞殺した人とか、いろいろ、ね。この問題で最も注目すべき点は総じて「自粛」の姿勢をとっている点ですね。ここに日本人の病理というか、美徳というか、特質があります。中国の天命思想になぞらえれば放伐*1ではなく、禅譲*2パターンが日本的な放送規制のあり方ですね。こういった形式をおのずから取ってしまうところが、日本が民主主義国家という楽しそうなものになりきれない最大の原因でしょう。権利と責任が明確化され、自由が保障された分別の世界に。

自主規制である、と言い張る限りにおいて、「表現の自由」という権利は誰にも傷つけられていないと思い込むことが出来ます。今回はたまたま権利を使わなかっただけだ、本当に必要なときのために取っておこう、という風に。しかし、使われなくなった権利が守られる、ということが本当にあるのでしょうか?


『School Days』『ひぐらしのなく頃に解』の自主規制に関して−日本人に芸術の自立性は理解できない? - tukinohaの絶対ブログ領域

そういう意味ではtukinohaくんが度々主張する「権利は行使しなければ腐っていき、終には剥奪されてしまう」という意見には賛成です。さりながら、さりながら、ココは高温多湿の村社会・日本。
ここでは権利を引っ込めることで、権利を主張するのです。
日本は村社会主義国家とでも言うべき、理想の社会主義国家です。権利を過剰に主張することは命を縮めます。少なくとも「空気が読めないヤツ」というレッテルを貼られます。こういう国では正面切った権利の主張法では生きていけません。では、どうやって己の権利を主張するのか、それは謙譲権利主張法(けんじょうけんりりようほう)です。
謙譲権利主張法。これは相手に対して自分の持つ権利を引っ込めることによって、そこにできた空白を見せつけ『オレは空気を読んで、権利を引っ込めた。だからオレが権利を引っ込めたという権利を認めよ』と、主張する方法です。回りくどいです。しかしこれが日本社会においては一番有効な方法なのです。
この、謙譲権利主張法を行った人間の権利を剥奪しようと追い討ちをかける人間は、正直「空気が読めていません」。かれは通常言われる「権利を行使する」ことによって、空気を失ってしまうのです。そしてこの空気を維持することは何よりの権威となるのです。権利を自ら撤回することが、最大の権利の主張方となる、おそるべき日本です。他傷行為(権利の主張)ではなく自傷行為(権利の撤回)による権利の主張。いわゆるハラキリの伝統は今でも日本に生き続けているんですよ。滑稽ですね、奥さん。
でもね、我々だって相手に自重を求めているんですよ。ニコニコでだって言ってるじゃないですか「up主、自重」って。あれは尊称ですけど、「何に対して」「どのように」自重しなければならないのかを説明せずに、「全体の空気」という架空のものを根拠に自重を要求する。こういう習慣を何の気なしに行ってしまう我々は「謙譲権利主張法」の中に組み込まれているのです。そういう素養を身に着けているんですよ。かつ、それで心地よかったりもするんです。
そう、自重、自粛を美徳と思ってしまう精神が我々日本人には根付いている。そしてそれが日本人間の最大の権利主張法であることも、知っている。自然に。空気のように。そんな世界で概念を一から定義しなおして、「自立する」ことは、難しいし、生きにくいし、効率が悪い。
そんな空気社会に生きている我々が今回の放送自粛を批判するための、最も有効な方法は
「放送局やマスコミが空気を読んだつもりで引っ込めた権利が、視聴者の空気に所属するものだということを分からせることです」。「相手が空気を読んでいるつもりで、こちらの空気を侵害したことを理解させ『オレらの権利を勝手に使ってんじゃねぇよ、逆に空気嫁』という主張を伝えることです。
それには事件を起こした少女を貶したり、放送局に嫌がらせをしたり、剃刀を送ったりする、空気を読まない攻撃的な行為ではいけません。フォーマットのきちんとした文章を徒党を組んで一人一通テレビ局に投書するとか、批判放送をした番組を見ないとか、きちんとした態度で矢継ぎ早に、しかもネット上ではなく切手を貼った手紙を送るという現実の手間をかけた工作を行う必要があります。放送中止を決定した地方局ごとに送った方が、東京のキー局に送るよりは効果があるかしれませんね。
また親御さんと仲の良い方なら報道規制のありかたを親子で話し合ってもいいですね。昭和天皇崩御の前後の状態を聞いてみたりすると、今回の問題がより明確になってオタではない人も空気に巻き込めるかもしれません。その際も空気を読んで自分の話ばっかりしないように。
ネットで仲間内だけで批判するのもいいですが、電脳社会は万物流転。カタチが残せません。また存外その輪はせまいものです。現実に対してアプローチし、形を残すほうが、今の時点の日本ではまだ空気を構成しやすいのです。
我々は権利のための闘争はしづらい、しかし空気が圧迫されることに対して自重を求めることはできるのです。それが日本的な「権利」。
…結局tukinohaくんと同じ結論になった。回りくどいだけだなぁ。

*1:ほうばつ。武力革命。各市民団体が不買運動やデモを行って、半ば強制的に放送中止に追いこむ

*2:ぜんじょう。平和的革命。テレビ局やスタッフが自主的に制限したり、放送禁止する