風神録がやってきた、ということで東方のニコニコ動画での影響力3

「レザマリ3の高速移動攻撃が極悪。ボスも瞬殺。一体どこであみだしたんだ、こんな奥義!!」
と、『東方風神録』の話から入りました、本日の原液35度です。

こうして東方とめぐり合い、絵をアップし、あまつさえ同人まで描く羽目になったのはひとえにニコニコ動画のお陰です。本当に有難うございました。で今現在のニコニコにおける東方タグがついた投稿作品を見ると6000件近く存在します。キャラクターものとしてはテニプリ遊戯王を凌駕する数字です。
ですが…、アイドルマスターの11000件には遥か及ばない。
ふりかえり ― PORTA iDOLM@STER - はじめてのC お試し版
実はこの両者ともMADの素材元となっている点では変わりがありません。東方ならイオシスの楽曲とプロモをいじったもの。アイマスならゲームのメインに来る唄の場面に既存の楽曲を組み合わせる、という形。
双方、他のキャラクターや唄を取り込むための受け皿としての要素が大きいのです。その汎用性のため、現在のニコニコキャラクター市場で一番と二番の地位を維持しています。
で、ここからが問題。同じような受け皿媒体である2作品にどうして倍近い差がつくのか。私はこれを受け皿そのものの捉えられかたにあると考えます。
東方のMADでは、


などが最近のものとしてあるでしょう。これらの作品を見て気づいたことは何でしょう?
「ハイ。先生。東方のキャラがいないです」
正解です。後で重油を2ガロンあげます。
これを見て分かるように、MADの中に東方のキャラは登場しません。楽曲とプロモを主体に別作品のキャラへと書き換えられているのです。一方、アイマスの場合は、作中のヒロインが別作品の歌、もしくは既存の歌謡曲を歌うという形式に則ってMADが作られます。この違いが生じた原因として、キャラクターと楽曲の結びつきにあります。
東方の場合、ほとんどが本編のシューティングゲームで使われたキャラクターソングを、イオシスが改造して電波歌にしたものです。したがって歌詞の内容もそのキャラクターの属性や行動に縛られるものになります。一方アイマスはキャラクターと楽曲が密接な結びつきをしているわけではありません。初期のとかちに関してはそれがあったものの、次第にキャラクターに既存の、それでいてアイマスとは関係のない楽曲を当てはめる方向にシフトしていきました。
東方でこのようなシフトがなされなかったのにはキャラクターと歌詞があまりにも密接に結びついてしまったからです。そのため、東方のMADを作る際は、その曲のリズム部分だけ採用され、歌手と歌詞、および映像はほかの作品のものを当てはめる形になりました。
アイマスにおいてはキャラクターがアイドルという設定や、歌のプロモーションシーンがメインとなっている設定から、キャラと楽曲の結びつきはそれほど強くありませんでした。ありていに言えばアイドルのなので「何でも歌わせてしまえばいい」わけです。そこで東方とは違い、キャラクターと画面構成はそのままアイマスの映像、ないしはそれを改良したものが採用され、曲自体はまったく別の楽曲を当てはめる形のMADが主流となっていったのです。
この違いはそのままニコニコにおけるMADの二つの方向性をあらわしています。
①楽曲(リズムといってもよい)に声、歌詞、映像を当てはめる(東方形)
②映像に楽曲を当てはめる(映像もいじるがキャラクターや舞台自体は変更しない)(アイマス形)
この二つの方向性がニコニコの方法論といえるでしょう。東方のタグがアイマスより少ないとはいえ、今のところ①の方法が大勢を占めています。しかしアイマスの優れたところはMADの普及によって、既存のキャラクターの人気も上昇する点にあります。MADが生産されればされるほどアイマスのキャラクターの人気や個性も拡大、深化していくのです。一方の東方は楽曲中心の方法なので、遊戯王るろうに剣心などの既存のキャラクターによって上書きされた作品が大勢を占め、東方のキャラ自体が①の方法でいじられ、発展することはないのです。
こういった構造的な面で東方のMADはアイマスほどには、元になった作品そのものを深化させ、普及させる効果は期待できないのです。残念。
次回は初音ミクアイマスの相似性について触れ、この論の続きを展開していきましょうかね。