初音ミクの新しさとは〜東方のニコニコ動画での影響力4〜

ええっと、家のパソコンが完全封鎖の憂き目にあったので鹿鳴館大学から更新しています。この呼称、今でも西尾維新は使ってるのかなぁ?
てなことで前回の続きです、初音ミクアイマスの相似性についてです。おっとその前に、私の中のもうひとつの人格が東方に対して擁護の論調を展開するそうです。
人格B「ちょっとまってな!昨日の話じゃと東方のキャラクターを基盤としたMADは成立しにくいって事じゃろうけど、こんなのがあるやろう?」

「『ばかすた』。これなんか東方のキャラクターMADじゃろうが」
そうですね。たしかにこれはニコニコ史上における東方のキャラクターMADの初期の代表作品といえるでしょう。かつ、今にして思うのですがこの作品には
一 既存の楽曲と映像の動きを元にオリジナルのキャラと映像を当てはめる
二 UP主の完全オリジナル製作
という二点で、既存のコラージュとは一線を画した作品であったと思います。以後のニコニコMADの方向性に寄与した面も大きい。
人格B「そうじゃろう。したら何故あんたは東方のMADがキャラクターを基盤とてないっちゅうふうに言いよるんか?」
ええ、ここで問題になっているのはキャラクターが原作に依拠するか否かという点です。例えばアイマスはゲームのキャラクターと画面を主体に、MADを製作する際にもその画面に準拠して作られます。一方「ばかすた」なんかは画風は絵師のオリジナルであって、その絵柄に準拠したMADはそれ以上には展開されていかないのです。要はzun絵の映像を主体としたMADが多方面に展開するなら、アイマスと同じ現象といえますが、そういった展開はなされていないのです。
人格B「うぐぐ、なるほどのぉ」
しかし、着眼点はよかったですよ。「ばかすた」はまさに画期的な作品であったのです。

1楽曲(リズムといってもよい)に声、歌詞、映像を当てはめる(東方形)

2映像に楽曲を当てはめる(映像もいじるがキャラクターや舞台自体は変更しない)(アイマス形)
という型に対して「ばかすた」の発想は1の亜流といえます。
1´既存の楽曲と映像に準拠したオリジナルの映像を当てはめる(ばかすた形)
この1´形は、既存の楽曲や映像をトレースする形で別作品のキャラを当てはめるものです。要は「既存のアニメのオープニングを自分の好きな作品のキャラで上書きしてしまおう」ということ。はんどぅ氏が「ばかすた」によって切り開いたこの境地が、現在のニコニコにおける東方のキャラクターMADの主流となっています。
でね、実はここからが本題で。1´と2はきわめて近い形にあります。製作者の心情という意味で。既存の楽曲に映像を当てはめるのが1。既存の映像に楽曲を当てはめるのが2。しかし1´と2には共通の目的があります、それは
自分の好きな作品ないしはキャラのプロモーションムービーが作りたい。
ということです。1´は外からキャラクターを持ってくる、2はあらかじめ設定されたキャラに当てはめるかの違いにしかすぎません。そう、そしてですよ。ここに現れるのが初音ミクという新たな可能性なのです。


3キャラクターと声に既存ないしはオリジナルの歌詞、歌曲、さらには映像までも当てはめる(初音ミク形)
これが、これこそが、ニコニコMADの夜明けにして新時代。
続く。