性(せい)、よく残酷を好む

私、性(せい)、よく残酷を好む。


血を見るのは、嫌い。先端を見るのも、嫌い。そういう酷(こく)ではない。
銃剣を突きつけられ、強制される酷(こく)ではない。


そんなものはどこにでもある。誰にでも作れる。料理を作るよりも簡単だ。ただ、欠ければいい。壊せばいいだけだから。


私は削られた残酷さは好まない。積み石の残酷さを好む。

賽の河原の酷さ(むごさ)を好む。積み石を壊す鬼ではなく、積み石を積む子供の、積ませる親の、残酷さを、好む。
どうしようもない残酷さを、行き場のない、敵のいない、逃れようもない、しまいには「愛する」しかない残酷さを好む。


皆が努力して、よかれと思って行う残酷さを、好む。それがなくなればいいとは、思わない。ひょっとしたら、それがなくなったら、我々自身もなくなってしまうかもしれないから。
それは甲斐(かい)。飽くなき集積。世界から見たらちっぽけな構築。思い。
それは業(ごう)。縁起因縁のラッシュアワーたるこの世界において凶器となりうる尖った刃。


私、性(せい)、よく残酷を好む。
だから人が嫌い、だから、人が、好き。