あしたのジョーはヤバイ4 −負けフラグ、死亡フラグの恐怖−

明日のジョーが現代のマンガと比しても秀逸な点として、勝敗の予想が分からないことが挙げられます。しかも一度決した勝敗がくつがえる事は、二度と、ない。

あしたのジョー(4) (講談社漫画文庫)

あしたのジョー(4) (講談社漫画文庫)

皆さんは死亡フラグ、あるいは負けフラグというのをご存知でしょう。あるキャラが柄にもないことをしたり、急にいい人になったり、どうみてもストーリー上の必然性のない彼女ができたり「帰ってきたら結婚…」などと言い出すと、必ず死ぬ。これが死亡フラグ
負けフラグ。これは相手を舐めたり、「勝ったら○○」を連呼したり、卑怯な振る舞いをしたときに訪れます。バトルもののマンガを読むとき、読者は息つく間のない戦闘にハラハラしながらも、最終的な勝者がどちらになるか、というのは実は察しているのです。自分でも気づかぬうちに「負けフラグ」を読み取ることで。
近年のマンガの中で「負けフラグ」をたくみに読み取れなくして、勝負を秀逸に描いているマンガに「テニスの王子様」が挙げられます。今連載中の全国大会決勝戦。初戦の真田対手塚戦は、結局最後までどちらが勝つかは読めませんでした。
現代においても、スポーツマンガがバトルマンガとためを張ることができる理由の一つに、「どちらを勝たせても問題がない」ということがあるのです。もしこれが本格バトルマンガだったら、彼等の勝負は命の取り合いです。そうなると、人間は、ありていに言えば読者はどちらかに加担する必要が出てきます。「死」を描くからには、「死んでも後腐れがない」「死刑になってもしょうがない悪いヤツ」を出す必要があるからです。そうでないと読後感が悪すぎる。
そう、生死を賭けた戦いには必ず善悪の概念がつきものなのです。
一方、スポーツに「善悪」はありません。また持ち込む必要もありません。なぜなら人を殺すことを前提とした戦いではないからです。したがって最終的に主人公が勝つ必要はなく、勝敗のサジ加減はバトルマンガよりも自由に調整できます。負けフラグを最後までぼやかして、真の意味で読者をハラハラさせることができるのです。
あしたのジョーでは、スポーツマンガの特性を生かし、負けフラグは巧妙に暈されます。例えば、ジョーと力石の初戦もまさかの引き分けでした。その後の二回目の力石戦、カーロス・リベーラ戦、金龍飛戦、ホセ・メンドーサ戦とジョーの戦いは続いていくのですが、どちらが勝つか、どちらを勝たせるかの梶原一騎のサジ加減は最後まで、本当に最後まで読者にはわからないのです。主人公を敗北の地べたに這い蹲らせることも厭わない、非常なる「負けフラグ」の排除はこのマンガをこそ嚆矢(こうし)とすべきでしょう。
ただし、四巻のウルフ金串戦を除いては。そう、この巻は唯一、負けフラグを読み取ることができるのであります。それはウルフの陣営に偵察に行ったジョーの仲間の悪がきたちが、ウルフによってボコボコにされるシーン。・・・ああ、それ(子供)はいくらなんでも負けフラグだ。
分かりやすく言えば「負けフラグ」とは「こいつが勝ったらムナクソ悪いな」と万人に思わせてしまった時点で発生するのでしょう。あわれ、ウルフはジョーによってジョー(アゴ)を砕かれ、再起不能となります。
しかし我々は巻を進めるにつれ、「あしたのジョー」世界の負けフラグ死亡フラグの恐怖を思い知ることになるのです。冒頭に述べたように「一度決した勝敗がくつがえる事は、二度と、ない」そう、ジョーの戦いはほとんどが一期一会。負けたもの、勝ったもの、引き分けたもの、彼等が再戦することはまずない。
…どちらかが再起不能になるから。
恐るべき「あしたのジョー」の世界。死亡フラグ負けフラグではない、勝者にこそ容赦なき死が訪れる。そう次巻。力石徹に訪れるのは。そんな最後。
つづく。