目標と喪失と〜あしたのジョーはヤバイ6〜
傷だらけのかませ犬・・・・か。
やろう、リングで力石の亡霊と心中する気だぞ
丹下段平
- 作者: ちばてつや,高森朝雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2000/07/31
- メディア: 文庫
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考えてみてください、明日のジョーのオープニングテーマ。「サンドバックに浮かんで消える、憎いあんちくしょうの顔めがけ(以下略)」これは力石への思いを切に歌っているものなのです。その力石が、力石が死んだら、この歌に残されているのは「あしたは どっちだ」という終わりの一フレーズのみ。前後無く。その一言しか残されていないのです。それはジョーや現実に生きる我々にとってだけでなく、マンガ文法の上でも。
したがって、今回のテーマは「マンガにおける「目標」とその「喪失」」です。
冒頭の歌詞の如く、力石を失ったジョーは試合も、行動も無軌道になっていきます。この「無軌道」と言う言葉が示すとおり、ジョーはレールから「外れた」のです。
それまでは、ジョーの前には「目標」が「軌道」がありました。力石という名の。ジョーが段平の指導を素直に受けるようになったのも、ルールに則った試合をするのも、全ては力石という壁、目標があったからなのです。
ボクシング=力石、であったのです。したがって明日のジョーというマンガにとってもまた、進むべき道は「力石」だったことになります。これはライバルが一人死んだだけの問題ではないのです。ライバルと共に「目標」も死んでしまった。つまりマンガ自体の「目標」の喪失が、この時に起きてしまったのです。
そう、あらゆるマンガにおいて動機とそこへの到達は最大の意味を持ちます。
例えばドラゴンボールであったならば、目標はドラゴンボールという願いを叶える龍玉を集めることです。すなわち、そこへ到達=ギャルのパンティをゲット、してしまったら目標は喪失してしまったわけです。
ここで「ドラゴンボールは復活するんだから目標は喪失せずに、循環し続けるじゃない。てことは、力石がいなくてもライバルがまた出てくればいいんじゃない?」という意見もあると思います。たしかに凡百のマンガならばそれでいいかもしれません。(いや、よくないんですがネ)しかし、人の心は秋の空。同じテーマや行動を繰り返しなぞるマンガなんぞ、見たいと思いますか?そう、ただ循環するだけでは人は満足しません。「いまよりもモット凄いもの」「面白いもの」を求めます。すなわち「インフレ」や「追加要素」を必要とするのです。
その結果、ジョーもドラゴンボールも追加要素を持ち込んできました。ドラゴンボールは「天下一武道会」。ジョーは「世界」。そう、奇しくも両者とも、純粋な初期の「目標」に到達した後に追加要素として選んだのは「インフレ」への道を加速させるであろうパワーゲームの世界なのです。
あらゆるマンガにとって初期の「目標」への到達の後こそが、大いなる分かれ道。「天国と地獄」なのです。そして「明日のジョー」におけるカーロス・リベーラ戦。それは実に、構造的にも「ターニング」ポイントになっているのです。そのことについては、また次回。