あなたはだぁれ?

上記のタイトルはウルトラセブン第47話から取りました。この話は私の敬愛する上原正三の脚本で、アパートの住人のコンパートされた生活と、そこに忍び込む侵略者の姿を描いた作品です。

団地が死んでいく (平凡社新書)

団地が死んでいく (平凡社新書)

今回はこの本を中心に、戦後日本に花開いた人工集落・団地*1について考えてみたいと思います。
「あなたはだぁれ?」の舞台となったのは「公団・たまプラーザ団地」です。東京都の多摩ニュータウン計画にそって作られた郊外型集合住宅で、ウルトラセブンが放映されていた1968年に分譲が開始されました。したがって放映当時は最新の住宅だったわけですね。公団住宅に住む会社員(演・小林昭二)が、団地に帰宅すると家族が自分のことを忘れている。家族だけじゃない、お隣が、同階の住人が、団地の全員が。自分のことを忘れているのです。実はこれはフック星人の集団入植計画の一環で、住民は全員フック星人が化けていたのです。ウルトラ警備隊とセブンの活躍で事件は解決。サラリーマンは無事、自分の家族の住む「家」に帰ることができました。
この話は当時多摩地区の開発とともに増えつつあった「団地」と、そこに漂う「無機質な人工集落」のかおりを巧みに描写しています。現代でも密接な地縁的結合を持つ沖縄に育った上原正三ならではの、人工的な都市への鋭いまなざしがうかがえます。
そう、ここで問題にしたいのは「団地」が、土地を離れた「人工的結合」によって構成された共同体であるということです。
この本の関心は、団地で多発する老人の「孤独死」と、それをもたらす団地の「構造」についてです。1968年、ウルトラセブン放映当時に団地に入植した人々こそ、この本で取り上げられる孤独死の問題に直面している世代なのです。この本はたまプラーザ住宅やその他多くの「団地」を作り出していった「公団」の歴史をたどり、高齢化した公団、住宅、住民と孤独死の関連性について説きます。と同時に、同潤会アパートや常盤平住宅を例にとり、孤独死を防ぐための住民同士の共同体の再生と、団地内の運動の重要性について論及していきます。
と、ここでマンション、アパート暮らし2×年の私の意見を述べさせていただきます。
私は2×年、つまり人生の大半を地に足をつけぬマンションで暮らしてきました。ここで取り上げられている同潤会アパートの住人は地縁的結合のまだまだ濃厚な1920年代の思想に基づいて作られた住宅であり、また創建当時は高級住宅であったということもあり、住んでいる人々の民度が高いという特徴があります。常磐平住宅は中沢自治会長というカリスマの働きによって、その機能を回復しました。これと同じことが最初からコンパートメントされた空間に住む「私」にも出来るのか?つまり、「カリスマや民度に頼らず、あらゆる「共同住宅」に適応できる「方法論」があるのか」ということです。
私はここで取り上げられた「孤独死」をしそうな人間に当てはまります。部屋はカオスだし、近隣住民の干渉を避けたがる傾向があります。コンパートメントされた生活を自前のものとして育った「私」を「共同体」に如何にして取り込むことが出来るか。カリスマや民度に頼ることなく、システム的に「ソレ」を実現できるのか?ケージの中で育った「鳥」を飛ばすマニュアルは開発できるのか?
今こそ、思想的に、システムから、「団地」を「設計」しなければならない時代に来ていると思います。「思想」を以って「家」を造り、思想を以って「家」に住む。各住人が食事以上に、それこそセックスと同じくらい日々の「住むこと」に「自覚的」になる。あらゆる階層がソレを意識しなければ、また、「住む」ことで自覚的になる家作りを心がけねば、お互いがお互いをシロアリのように食い物にして腐っていくような気がします。「幸い」他の二大欲求に比して「住」は外側から人間を規定します。つまり「思想」を以ってソレをつくり、人間を入れれば、ある程度は人間の行動を、思想を規定することが出来ます。(怖いことでもありますけどね)民俗学、心理学、社会学等の諸学*2,*3が学際的にコミュニティとしての「団地」に取り組み、開発することで、外部から精神を規定することは可能なのではないでしょうか。「それは洗脳だ?」そう、洗脳ですよ。ではあなたは、思想的にニュートラルな家に住むことが幸福であると考えるんですか。そんな「居住空間」はありませんよ。ニュートラルなんか、ないんです。あるのは「考えてない家」だけです。
もっと、考えなくちゃ。そして「考えてるもの」を「選ぶこと」をスタンダードにして、「そんな家」を安価にしていかなくちゃあ。

*1:「じゃあ、人工的でない集落はあるのか?」と聞かれたら、困る

*2:あとコミュニスト。国家が嫌いなら、団地という地縁によらない、比較的収入が似通った階層が結びつく場でパトリオティズム(郷土愛)を形成する運動にまい進しなければ、国民国家には対抗できません

*3:あと右翼。健全な国家主義には健全な愛県心、そして健全な愛郷心が重要です。愛郷心から二足飛びに国家国家言っても、頭でっかちしかついて来ません