「記号」に潜行(ダイブ)する「冒険」〜漫画をめくる冒険〜

私たちはマンガを読みます。
紙面に印刷された、墨の流れを読みます。
限りなく平面化した、記号を読みます。
いつでも、どこでも、だれでも買える、「記号」を読みます。
しかし、そんな限りなく類似した複製から「同じもの」を見れるのでしょうか?
それこそコピーするように、「汲み取ること」ができるのでしょうか?
そこにある「思い」を、「解凍」できるのでしょうか?
これはぼうけんのしょ
いつでもいける、どこからでもいける、だれにでもいける、
だけどだれも気づけない。
そんな「冒険」へと、深く、深くダイブする。
マンガという圧縮された「記号」を、「解凍」するための、本。


漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 上巻・視点漫画をめくる冒険―読み方から見え方まで― 上巻・視点
泉 信行

ピアノ・ファイア・パブリッシング 2008-03-14

「巷には「キャラ」があふれている」
右を見ても、左を見ても、上見て下見て三遍回ってワンしても、周りにいるのは「キャラ」です。そんな国が、ここ日本。
キャラは個別で存在している場合もあれば、紙面から、ゲームから飛び出して活動している場合もある。
我々は多くのキャラを知っている。マンガに一切興味が無い人でも、日常に溢れる広告媒体や書店に踊る華やかな広告でその「キャラ」を目にしている。しかし、そのキャラがどのような性格を持ち、どこで活躍し、どんなことを考えているかは、知らない。「キャラ」の身体的特徴がイメージできるだけでは、それが持つ「個性」。俗な言葉で言えば「タマシイ」を知っていることにはならない。
もし、あなたが町で偶然であったキャラ、そのキャラに興味を持ったならば、「彼」のことを「モット知リタイ」と思うかもしれない。そんな時、「彼」がマンガのキャラクターであったなら、アナタは幸いだ。
少なくとも、「彼」はしかるべき属性、出身、性格を持ったキャラクターであることが、保障されたわけだから。
彼のことに、彼のアイデンティティに潜行(せんこう)する機会が、与えられたわけだから。
そうしたら次にアナタは彼が描かれた「原作」を読むはずだ。それこそ紙面に穴が開くほどに、まじまじと。それで一時期は満足するはずだ。「ああ、コレで「彼」を知ることができた」と。
だが、それが熱病に浮かされるほどの「想い」になったとしたら。どうだろう。彼のことを知ったからこそいや増しに燃え上がる「渇望」。もっと知りたい。もっと手に入れたいそんな狂おしい欲望に身を染めるかもしれない。「ダガ、カカレテイルコトハ、ヨミツクシタ」。
大概の人が次に採る手段は「彼を創作する」ということだ。心に思い描くだけでは抑えられず、彼のキャラ(造形)を土台とし、彼のキャラクター(アイデンティティ)を燃料として、彼の活躍する舞台を、彼の想いを、自分の意のままに再現しようと試みるはずだ。それが昂じて外に溢れ出せば「同人」という形を取るかもしれない。彼の人格と彼の造形「キャラ」を基礎としたあなただけの「キャラクター」の誕生である。それはある意味ですばらしい「プロセス」だ。だが、待ってほしい。我々は「自分で解釈を施す」前に、もっと「彼」に近づく方法があるのではないか?
ありていに言えば、もっと「彼」の「タマシイ」に潜行する方法があるのではないだろうか?
あなたは巷に溢れるあまたの「キャラ」から、それを選び出し、独立した人格=キャラクターとして認識することが出来た。記号としての「キャラ」から、人格としての「キャラクター」へと「解凍」したのだ。あなたが近づき、あなたの体温で、それを為したのだ。
その「愛」があるならば、もっと深いところに「潜行」出来るはずだ。キャラクターを再びキャラに圧縮して、自分の思いで色づける前に、モット知る、今より知る、深く知る方法が、あるはずだ。
それを知りたいとは想わないか?
アナタも、私も、あるいは作者自身すら認識していない「キャラクター」を探る。
暗黙知のセカイへと潜行(ダイブ)する。
そこに見える「彼」は、「世界」は、今までと様相を一変しているかもしれない。そこで浮かび上がった、「解凍」されたキャラクターは、あなたの「幻想」を打ち砕く残酷なものなのかもしれない。
それでも扉を開けるなら、それでも本書をめくるなら、
あなたの「セカイ」は昨日とは違ったものになるでしょう。それは、保障します。
ようこそ、漫画をめくる「冒険」へ。