能勢電鉄旅行記本編

「旅は道連れ、世は情け。情け無きとて、腹はへるらん」と、いうことで能勢ツアーの様子をお伝えいたします。
私とcujoさんが地方都市Kの西院駅に集合したのは午前8:00.陽光瞬く朝のこと。
アスファルトがゆらゆらゆらめくさまはこれから熱くなるであろう一日を想定させるに十分でありました。
で、阪急電鉄に揺られること1時間。能勢電鉄に揺られること30分。目的の地、能勢電鉄の最果て・「妙見口駅」に到着しました。

熱いというのに、ハイキング客で電車はいっぱいでしたよ。ハイ。
ですが、我々の目的はハイキングではありません。一昨日紹介した摂津源氏の末流・能勢氏の足跡を探ることが目的なのです。つーことで、バスに乗って能勢氏の本拠地・地黄(じおう)へ移動。

到着。イヤー、ブログだと展開が速くていいですねえ。
今の写真が能勢氏の居城・地黄城(ぢおうじょう)の跡地です。今は中学校になっています。夏休み第一日目だったのですが、生徒が一生懸命部活をしていましたよ。ああ、若さってよいなあ。この能勢氏は源氏の祖・源満仲酒呑童子退治で有名な息子の頼光の血を引く一族です。この能勢の地を本拠として幕末まで旗本として続いていきました。
では、次にその菩提寺を訪れてみましょう。


歩いて数分のところにある菩提寺・清普寺(せいふじ)です。これから行く能勢妙見を創建した能勢頼次(のせよりつぐ)の墓もここにあります。それにしてもいい天気だ。

ちなみに昨日のこの風景は清普寺の横の風景です。ああ、トトロ。cujoさんはずっと「あるっこーあるっこーワタシハゲンキー」と歌っていましたが、暑さにやられたその姿から湧き出る疲労は隠し切れませんでした。
まあ、事実そのあと、炎天下の下30分ほど歩いたわけなんですがね。
能勢の地は四方を山に囲まれた隠れ里的な別天地なのですが、盆地特有の暑さからは逃れ切れません。cujoさんは道すがらずっと「ゴルゴ13に狙われそうな地形や」というセリフを連発していましたが、京都だって似たようなものですね。さてさて、そうこうしているうちに目的の巨大樹が見えてきました。

これは野間の大ケヤキといって樹齢1000年を越える大樹です。能勢氏がこの能勢の地に土着したのが院政期の末ぐらいですから、能勢一族より100年以上前からこの地に根を張っていたことになりますね。

デカイです。枝も並みの木の幹レベルですね。ちょっくら木陰で涼ましてもらいましょう。ちなみに幹はこれぐらい。

さて、しばらく休んだところでバスの時間です。コレを逃すと2時間ほどバスがありません。能勢の盆地に閉じ込められてしまいます。そんなぼんちおさむプレーはいやです。走って走って、バスに間に合いました。
次の目的地は能勢妙見です。

ここがケーブルの駅。むこうの山に見える一本の線みたいなのがケーブルカーの軌道です。駅舎の前に青い旗のようなものがはためいているのがごらんいただけるでしょうか。これは能勢電鉄100周年記念ののぼりです。そう能勢電鉄の創建は1908年。今年で100歳の誕生日を迎えるんですね。なんで今の機関はケーブルカーもリフトも全て片道100円です。能勢妙見観光は今がチャンスですよっ、奥さん。

ここからはケーブルときめき号に乗りつつ、頂上を目指します。昨日お供に加えたあの子です。車体がピンクなので女の子でしょうか。近隣の比叡山ケーブルや鞍馬寺ケーブル、六甲山ケーブルとの素敵な恋に胸ときめかせてほしいものです。高野山ケーブルのワイルドな魅力も捨てがたいですよ。
そんな彼女に揺られてやってきたのは能勢妙見…ではなく、ここからまだまだ続きがあるのです。


愉快痛快リフトにゆられて山上に。色々なのりものが楽しめる能勢妙見観光。お子様との休日のレクリエーションにも最適です。オマエは能勢電鉄のまわしものかっ!ちなみに能勢電鉄100周年記念の旗の向こうにうっすら見えるのはダイオキシンで問題になったゴミ処理場らしいです。

で、このケーブル。やけに長いんですよね。10分以上乗ってる気がします。cujoさんは後ろでずっと「亜門先生ぇー!」と連呼していました。リフトの鉄に熱伝導で伝わる暑さにいらっときていた私は、心の中で「チッ」と舌打ちしましたが、顔には笑顔を貼り付けて過ごしました。
この「亜門先生」の正体については後編で明かします。皆さんもその正体に思い巡らし、眠れぬ夏の熱帯夜を過ごしてください。「それが私の最後の願いだ」(cv納谷悟朗)*1
続く。

*1:ウルトラマンA最終回におけるエースの最後の言葉