崖の上のポニョの『分裂』 

この前の続きです。前回は技法的なこと書いたんで、今回はシナリオやキャラについて。
色とりどりの シュールレアリスム 〜崖の上のポニョみてきた〜 - マントラプリの生涯原液35度
表題にあるように、「分裂」が前面に出ている気がします。
この作品は世界観においてもシナリオにおいてもキャラにおいても「分裂」があります。
まず世界観。海と陸の分裂です。
海の中の世界はわじゃわじゃとしたカオスな生き物やら、フジモトやポニョの母やら、ポニョなんかがいる「非現実」の世界です。ここで重要なのは「世界」にとってではなく、「人間」にとっての「非現実」があるということです。人間が触れることが出来ない「海」の世界と、人間が想像し、創造する「常世」としての海の世界。双方とも、存在、非存在にかかわらず、「陸」に住む人間からすれば「不可知」の世界となるわけです。この作品の中での海はそういう触れられない世界に対する「願望の坩堝」の役割を果たしています。
現実世界。人間の営みが行われている「陸」との対比になっております。「陸」の最も高いところ(崖)に住む「宗介」と、海の、神秘の最も深いところに住む(深海で、存在自体も非現実)「ポニョ」の位置としての対比にもなるわけですね、はい。
シナリオ。これは「陸」(現実)と「海」(非現実)の分裂に彩られた前半。「陸」と「海」が混交し、「現実」と「非現実」が混交する後半と分けることができます。現実の世界。母、父の管理下にあり、陸の秩序で語られる前半。海が侵食し、非現実が闊歩し、主人公の幼児二人が行き先を決め*1、どこか原初の鷹揚さがある後半。
この二つの世界の、シナリオの分水嶺。まさに分水嶺として最大のアクションシーンであるカンブリア大爆発があるわけです。最大の「見せ場」がクライマックスではなく、「分裂」のシーンに使われる。「千と千尋」のころから、中盤のクライマックスが「分水嶺」に使われているシーン*2は見て取れますが、本作では更に顕著なものとなっています。
そして第三にキャラとしての分裂。今回、宮崎ヒロインは母親のリサとポニョ。二人に分裂しています。私はトトロのメイとサツキを思い出しました。しかし彼女たちはキャラ(造形)とキャラクター(性格)が固定化(メイは妹的な属性と行動様式。サツキは姉的な属性と行動様式を保ったまま、一貫している)していたのに対し、リサとポニョはそのキャラとキャラクターが「アンビバレンツ」に混ざり合って、やや複雑な様相を呈しております。
リサは行動的なでありながら、夫を陸(現実)で待つアンビバレンツなヒロインとして、ポニョは宗介の「進路」に寄り添いながら、今回の事態を引き起こしたアンビバレンツなヒロインとして、双方反転した属性を付与されています。
彼女たちは最初から独立した「キャラ」として造形され、シナリオの中でのシーンシーンでそのキャラ的な反応をするメイやサツキのような存在ではないのです。ありていに言えば「キャラ」萌えができないように造形されています。彼女たちは「物語」の「役割(ロール)」として造形されているのです。
例えば現今のアニメの多くが「キャラ属性」というものに重きを置きます。そのキャラがどんな性格で、どんな造形で、どういう行動原理を持つか。そこに重きが置かれます。これが昂じると、「キャラ」たちが最終戦争を戦おうが、平凡な日常を送ろうが、異次元世界に行こうがいいということになります。つまり「そのキャラさえいれば舞台は『背景』程度の意味しかなさない」といった状況にもなりかねないわけです。その「キャラ」の反応を見る。ないしは動いているところを見ることに重きが置かれ、どこの「世界」で、どういう「動機」で動こうが、キャラがその性格のままでいればかまわない。といった状況になります。これを「キャラ萌え」と私はとらえています。*3で、これが昂じると「『キャラ』の為に背景である『世界』なんぞ、滅ぼしてもかまわんわ!」という事態に。これが「セカイ系」です。
一方ポニョでは、ヒロイン二人はその役割(ロール)によって「行動原理」を変えます。前半は現実世界でエンジンバリバリだったリサが、後半は幻想世界でだべって待つ存在になります。前半は手足なく、陸の上でおのがままに動けなかったポニョが、後半は宗介とともに海と化した陸を闊歩します。彼女たち自身に「行動原理」があるのではなく、作品内の「役割(ロール)」によって行動原理が与えられているのです。「二人のため世界はあるの〜♪」ではなく「世界に拠って二人はある」のです。宮崎監督の「海を背景ではなく主要な登場人物としてアニメートする」という発言の裏にはかくも恐ろしい意味が隠されているのやも…。
「キャラ萌え」とも「セカイ系」とも極北の位置にある、子供たちには「ポーニョポーニョポニョ」とキャラに肩入れさせる歌を歌わせておきながら、この仕打ち、ヒドイッ!

*1:ポニョの母親にいたっては娘自身の生殺与奪の権利すら「子供たち」に委譲している。これってかなりエキセントリックなのでは…

*2:カオナシとのチェイスシーン

*3:この背景替えを「世界観」と照らし合わせても「合理的」に行えるのが涼宮ハルヒシリーズ