蹴上インクライン

ということで前回の続きです。ちなみに冒頭のセリフとタイトルは「家なき子2」へのオマージュです。さて前回までのあらすじ。
水戸閘門(みとこうもん) - マントラプリの生涯原液35度

閘門(こうもん)は水位の違う川同士で船を行き来させるための門である。
この門は、近代以降の技術革新で発展を遂げていった。
しかし、水かさの変動によらずとも船を高地に移動させる手段があるという。それは一体!?

ということで、今回は種明かしをしましょう。蹴上(けあげ)とは京都市の東山周辺の地名です。

蹴上交差点の南側に一つの建物があります。

このレンガ造りの建物こそが今回の主役である蹴上インクラインを支える蹴上発電所(けあげはつでんしょ)。1891年(明治24)に運航を開始した我が国初の水力発電所です。ちなみに世界で二番目に古い水力発電所でもあります。現在の建物は1912(明治45)年の改築後のものです。
船を高地へと移動させる手段、それは「電力」。
ま、電力といったって、電気そのもので船を移動させるわけではありません。電力をドラムを回す力へと変動させる。そのドラムの回転によって動くのがインクラインなのです。ちなみに交差点の左側にこんもりとしている森がインクラインになります。
では、そのしくみを説明しましょう。下の図は京都市水道局の説明版を撮影したものです。

上記のように蹴上発電所の電力の力でドラムは回されます。そして、その動力を使ってベルト状に付けられた鋼索(こうさく)を動かし、それによって鋼索に取り付けられた滑車が斜面を上下します。つまるところはケーブルカー(鋼索車)です。
産業用に敷設された鋼索線インクライン。旅客用に敷設されたものをケーブルカーと呼びます。ここでは船を上下させるのが目的なので産業用の施設となり、インクラインと呼ばれるのです。

ここがインクラインの最下部・南禅寺船置です。船をここから滑車に乗せ、インクラインはスタートします。下の部分にレールの跡が見えますね。

彼が船を上げ下げする滑車です。今は使われていないのでさび付いています。この上に船を載せて上まで運ぶのです。では、しばしばインクラインの旅をお楽しみください。



はい、ゴール。

船なので、始発駅と終着駅が水溜りなわけですね、ハイ。水から水へと進むわけです。ここらへんを見ると、閘門と役割自体はおんなじなんだなぁと感じます。
この蹴上インクライン琵琶湖疏水事業(びわこそすいじぎょう)という近代京都最大の事業の一環として設けられました。この琵琶湖疎水事業は、琵琶湖の水を長大なトンネルによって京都市内へと導水するというものです。現代の京都の生活を語る上で欠かせない事業でありまして、今京都市民が水道水の安定した供給を得られるのも、この事業に依るところが大きいのです。そこらへんの事情についてはこのコーナーが続いていく中でおいおい語る機会があるでしょう。
蹴上発電所の電力も、この疏水の地上との落差を利用したものです。

インクラインの頂上部分から、上の導管を使って水を落とし、その落差によってタービンを回し、電気を発生させます。このおかげでインクラインが動かせるわけですね。
琵琶湖疏水大津市山科区を通り、京都盆地へと顔を出すのが、この頂上部分となります。下の写真がその出口です。

おや、横にきれいな建物がありますね?

これは九条山浄水場。片山東熊(かたやまとうくま)によって1912年(明治45年)に設計、建立されたものです。え?片山東熊ってだれかって?
では、それを次回のお題としましょうか。

<アクセス>
京都市営地下鉄東西線蹴上駅から徒歩0分