世界が変わった日〜Google Mapsストリートビューが変えるもの〜

皆さんは「歴史の転換点」を御覧になったことがありますでしょうか。
昭和天皇の死?ソビエトの崩壊?9.11?自分の人生の中で遭遇した歴史の転換点として、何を思い浮かべるでしょう?
私は、以後の人生で、おそらくこの日を思い浮かべるでしょう。そう、Google Mapsストリートビューを知った今日という日が私の中での最大の「歴史」の転換点です。
Google マップ日本版にも「ストリートビュー」機能--道路に立って街中を見渡せる - CNET Japan
この恐ろしさは筆舌に尽くしがたいものがあります。カメラによって撮影された360度の日本の風景。それはさながら自分がその場にいるが如く、景色を映し出す。そう、「風景」そのものを。それは選ばれたものだけでない。店舗も、大気も、通行人でさえも。360度の「風俗」すべてを取り込んだ世界。私は「写真」が発明されたのも、「デジカメ」に進化を遂げたのも、そもそもストリートビューがこの地上に誕生するための下ごしらえだったとすら考えるようになりました。この世紀の発明によって世界は二つ変化を遂げます。
一つ目は「歴史」の変化。
このストリートビューが全世界のあらゆる街路に普及した場合、世界は一つのデータとして残ることになります。そう、劣化しない、データとしての風俗がそこに焼き付けられるのです。これを地図を更新するが如く、一年単位で更新し続けたらどうなるでしょう。そう、世界の風俗がそのままの形で「保存」されるのです。
つまり、これから先の歴史学の研究者が2008年以降の時代を研究する際、「風俗史」が歴史学とみなされなくなる可能性があるのです。何故なら全てがストリートビューのデータとして遺されているから。当時の人がどんな服を着て、どんな乗り物に乗り、どんな背格好をしていたか、どんなものを好んで食べていたかが、ポンペイの都市よりも詳細に、360度のビューで焼き付けられているのですから。
このログが残る限り、2100年の人類にとっても、2500年の人類にとっても、2008年に生きる我々は親しみのある存在になるわけです。我々が100年前や500年前の人類に対して感じるソレよりは。何故なら未来人たちはいつでも、どこからでも、過去の360度のパノラマにアクセスできるんだから。そう、これによって2008年以降の「歴史」は鮮明化し、「未来」の人間の歴史観は変貌する。まさにストリートビューは究極の「過去ログ」となる。*1
うらやましい。未来の人類は、自分たちの時代と同じくらいの親近感を持って「過去」に語りかけることができる。そのありがたみを実感すること無しに、無邪気に過去にタイムトリップすることができる。今日ほど未来に生まれたいと思った日はありません。
二つ目は「体制」の変化。
このストリートビューを「プライバシーなんかあったもんじゃない」といって糾弾することは出来ます。簡単です。だからといってこれを「抑制」して、なかったことにして世界は生きていけません。我々はもはや禁断の果実を知ってしまったのですから。そう、そして行き着くのは「隠匿が権力基盤となる社会」から「開示が権力基盤となる世界」へのフェーズシフトです。
「権力」とは基本的に「隠匿」を基に成り立っています。しかし、グーグルはグーグルアースで見られるようにあらゆるものを分け隔てなく「開示」していこうとしています。ある意味、暴力的に。グーグルで世界が手元にあること、手元に凝縮できることを実感した人々が社会に溢れたとき、そうした人々の支持の基に成り立つ「権力」は従来の「隠匿」のままで成り立つことが出来るでしょうか。
私はそこから「開示型権力」が萌え出づると考えます。
つまりグーグルの示す「世界は公開されているべきだ」という理念と、映像という実感が世界を覆ったとき、人はその実感を基にあらゆる権力に「グーグル」のような「開示」を要求するわけです。今の選挙で言われるような「公明正大」といったお為ごかしの理念ではなく。そうなった結果、グーグルのような「開示」ができない権力を「世界理念」に反するといって糾弾し、打破します。グーグルが示した「開示要求」に適合する政権こそが承認され、社会はいい意味でも、悪い意味でも「開かれていく」。
それで世界が平和になることは当然ありません。つまり相手を糾弾するときに「アイツは皆が求める「開示要求」に反した振る舞いをしている」ということを述べ、政敵のゴシップを探って叩くという体質は変わらないのですから。ただ、相手を出し抜くために「秘密裏」に行うということが、糾弾され易い社会になることは間違いないでしょう。どんな権力でも。何故ならストリート・ビューによってあらゆる人間の「手元」に世界は存在し、その中で生きている「共同体」という実感が世界をつなげるでしょうから。
グーグルアースやストリートビューで目視できない施設(兵器施設)や官邸をある国家や権力者が作れば、そのこと自体が「『隠匿』を図ろうとしている」と見なされ、ネットで繋がった人類から糾弾される。「施設や居住場所が『開かれ』たら暗殺の危険があるじゃないか」との声には、「開示要求」の義務を果たした「開かれた人間」を、抹殺したときは人類全体がその実行犯や加わっていたものに対して「隠匿者」としてのレッテルを張り、あらゆる手段で糾弾の魔の手を伸ばそうとする。つまり開かれていることがなによりの「護身」となると返すことができます。
一つの権力が「隠匿」のみで伸張していける世界は終わり、すこしでも隠匿のそぶりを見せた権力は関係の無い世界中のあらゆる第三者から「世界の『開示要求』の流れに反している」というレッテルを貼られ、裸にされていくのです。
開かれた、みんながみんなに、裏腹なきことを要求し、監視していちゃもんを付け合う、「開示型権力」の社会がやってくるのです。
人間は見つけてしまった「玩具」をなかったことにできない生物です。特にその「玩具」が我々の欲求の深いところに嵌れば嵌るほどに。そして、そのおもちゃに合わせて、世界の形を変えたりします。
核という最大の物理的破壊力を誇る「玩具」に統御された「世界」が終わり、グーグルの超高性能地球モデルという「玩具」によって統御される「世界」がやってくる、それだけの話です。
でもそれは、人類の玩具がヒュレーからエイドスへと転換したという、おそるべき話でもあるのです。*2

*1:ちなみにアメリカでは去年から

*2:ストリートビューの撮影車が京都に来た日(4月10日)、私は鹿鳴館大学にいました。上七軒の交差点を車が通過したのが2:45分だから、外をチャリで走っていれば補足されたやもしれぬのに