あなたはあなたの判官びいきをせよ。私は私の判官びいきをする

判官びいき(ほうがんびいき)とは、
不遇なもの、弱いものに同情し肩を持つこと。またその感情。と日本国語大辞典にあります。
そもそもの意味として源九郎判官義経の境遇を哀れみ、それに愛惜の意を唱えるところから来ています。しかるに、この「判官びいき」という感情は人と共有しあうものなのでしょうか。今日はそこに疑義を挟みたいと思います。
源義経への「判官びいき」を強調するために使用されるのが梶原景時(かじわらかげとき)です。
頼朝の威光を笠に義経のことを度々讒言し、彼を孤立させていった人物、悪漢として彼は描かれます。では、梶原景時は「強者」なのでしょうか?判官びいきの燃料となるための「敵」なのでしょうか?
梶原景時は確かに汚い仕事に手を多く染めています。上総広常(かずさひろつね)を暗殺したり、熊谷直実をキレさせて出家に追い込んだり、結城朝光を讒言したり。ですが彼が汚い仕事に手を染めざるを得なかったと、「判官びいき」をする人々は考えないのでしょうか。
君側の奸(くんそくのかん)という言葉があります。君主を意のままに操る側近に対しての批判の言葉です。鎌倉の御家人の多くは梶原景時に対してこの思いを抱いており、頼朝の死後、一年もおかずに彼は一族郎党討伐の憂き目に遭います。しかし、大概の場合「君側の奸」は最も主君の意を奉じる「側近」なのです。この批判の言葉の対象は「側近」ですが、その実、それを行わせる「君主」に対しての掣肘の意が含まれているのです。
上記の景時の振る舞いは、その多くが主・源頼朝の意を報じたものなのです。我侭な上総広常や、直筆の書状をくれと駄々をこねる千葉常胤、情に流される熊谷直実や、一度は三浦半島から三浦一族を追いやった畠山重忠よりも何よりも、彼は頼朝の忠臣なのです。そしてそれゆえに、君主の意を誰よりも奉じたがゆえに、君主の死と共にその運命を終える羽目になったのです。
私は九郎判官義経よりも梶原景時にシンパシーを感じます。梶原景時こそ、御家人内で孤立しながらも主君の意を奉じ続け、死へと至った「不遇なもの、弱いもの」と考えます。「誰からも愛されるもの」を判官びいきするのは簡単です。そうすれば波風は立たない。でも、それは本当に「贔屓」(ひいき)なのでしょうか。誰からも左右されない、自分だけのシンパシーで為されるからこそ「贔屓」足りうると、私は考えます。皆が愛するものを愛するのではなく、自分が愛するものを愛するという。善も悪もない、おのれの「思い」がただあるのみ。
ですので、私は梶原景時を、後世に至ってまで人々から批判され続ける「不遇な者」を「判官びいき」します。