あけましたら、しめましょう

あけました。おめでとうございます。
「今年も人類は滅びずにいるそうです」。そういうお祝いか?
「今年も人類が無事でいるように呪(しゅ)をかける」そういう言祝ぎ(ことほぎ)か?
なんにしても、めでたい。


今年の私の目標みっつ。
ひとつ
ヒリヒリすること
私はしばし、「心胆さむからしむる気分」というものに陥ります。
私自身の痛いこと、触れて欲しくないことを指摘されたとき、体の内側から冷えてくるここちというヤツです。
去年までの私は、この心地に怯えながら生きてきました。しかし、それはあやまりです。問題は、「心胆さむからしむる気分」に陥らないよう、慎むのではなく、「心胆さむからしむる気分」を活かすこと。
予習で怯えるのでなく、復習で怯えることこそ、肝要。あらかじめ怯えながら生きる必要なんて、ない。
そう、「心胆さむからしむる」ことを、愉しむ(たのしむ)。それこそがヒリヒリすることなんじゃないかなぁ、っと。
なので、今年の私は意図的に「擾乱」(じょうらん)を引き起こします。ヒリヒリするために突貫します。怯えた末の遠吠えは、しません。
そうやってヒリヒリしたキモチを受けては、吐き、受けては、吐き。呼吸しながら、生きていきます。


ふたつ
オルタナティブに動く
今年は、常に、オルタナティブ(二者択一)を心がけて生きようと思います。
ずぼらな私は、よく悩みます。今悩まなくてもいいことまで俎上にして悩みます。
多分、なんもいいことにはなりません。ですので、今年は悩み出し途端に、脳内に「アメリカ横断ウルトラクイズ」で使われたどろんこクイズの○×を現出させ、十秒以内に自分の脳内で選択させます。それで結論が出なければ、手を動かして別の作業をしながら悩むことにします。
悩むことに時間を使わない。そういう「割り切り」にこそ、力を尽くします。


みっつ
「己」の判断は他人に任せる
思考停止状態に陥るわけではありません。
自己そのものの評価は他人に任せ、自分は流動的な、各個たらざる「己」として生きるということです。
アイデンティファイに全力を費やしても、比較しようとする心そのものが既に「自分」というバイアスに統御されています。なので「世界における自分のこと」など、判断できません。
それよりも、ある「空間にいる」自分。ある「時間にいる」自分を重視していきます。
要は、自分ひとりのとき、一個の己について考えることを止め、他者との関係性の中で役割を果たせるかを考えることに、専念するということ。「おのれだけのおのれ」など、いりません。そんなものは生きているだけで、生来的に手にしています。道具です。
道具について悩むことこそ、おろか。鋏は鋏、馬鹿は、馬鹿。問題は鋏はどこで使ったら有用か、馬鹿はどこに投入したら効果を見せるかということ。そういった役割で思考していく。「だれかといてのおのれ」ということです。
その場その場に配置された、配置されゆく「己」のみ、考えます。


以上、今年の目標、おわり。
では、本年も皆様。懇ろ(ねんごろ)に、良しなに。