梅しばの話


なんとなく、梅とメイドが、見たかったんですよ。
いや、関東地方で「梅しば」っていうお菓子のCMやってたんですよね。学園のシチュエーションでね。「先生、村岡くんが梅しば食べてます」って隣の席の女の子がチクるんですよ。で、関東ローカルということで、村岡くんとは何ものか調べてみようと思ったんですよ。

で、地名で探すと埼玉県熊谷市村岡が出てきましてな。もしここの地名を取った名字が村岡くんだとしたら、一つ思い当たる節があるんですよ。
今昔物語集』巻二十五第三にある「源充平良文合戦語」(みなもとのあつるたいらのよしふみとがっせんせること)。
これは嵯峨源氏の源充(みなもとのあつる)と桓武兵士の平良文(たいらのよしふみ)の決闘の話なんですよね。
源充は宛とも書きまして、酒呑童子茨木童子なんかの鬼退治で有名な渡辺綱(わたなべのつな)の父ちゃんです。で、平良文(たいらのよしふみ)は平将門(たいらのまさかど)の叔父さんです。歳が近かったので仲良かったみたいな話が残っていますが、将門の乱には基本ノータッチでした。鎮守府将軍(ちんじゅふしょうぐん)として東北に行っていたからだと推測されます。
この二人は、関東に下向していたんですが、充さんは箕田(みだ)。埼玉県鴻巣市箕田に本拠地がありました。一方、良文さんは村岡五郎と呼ばれておりまして、埼玉県熊谷市村岡に本拠地がありました。この二つの場所はJR高崎線で三駅ばかりの近い場所にありまして、お互い境を接していました。
お二人はすめらみことの子孫なので、人間が出来ていたでしょう。しかしその郎党たちは馬の骨ですから、つまらんことでわいわいがやがや争いますわな。で、お互いの主人に相手の悪口を吹き込むんですな。ええ、そうこうしているいうちにやんごとなき殿ばらも、むかっ腹が立ってきまして、ついには「決闘だ」ということになりました。

で、古式ゆかしき一対一の決闘と相成ったわけです。このお話、源平合戦以前の武士の決闘の作法を伝える数少ない貴重な説話となっております。その様子をかいつまんで説明しましょう。
それぞれの郎党が盾をずらっと敷き詰めます。この「盾」とはRPGなんかにある手持ちの盾(手盾)ではなく、地面に据え置く垣盾なのです。こいつをお互いの陣営が壁のごとくに敷き詰めて、そこに隠れて矢を射掛けます。まあ、簡易性の塹壕(ざんごう)のようなものですね。
でも、良文さん。その従来の作法だと「興ハベラジ」(おもしろくない)と言いだしました。「只君ト我トガ各々手品ヲ知ラムトナリ。然レバ方々軍ヲ射組シメズシテ、只二人走ラセ合ヒテ手ノ限リ射ント思フハイカガ思フ」つまり、「アンタと私の実力を知るためのことだから、二人だけで馬を走らせてある限りの弓を射て勝負しようぜ」と言います。一騎打ちですね。
で、充さんも「私もそうおもっていたところだ」と盾の影からにょっきり出てきました。これで一対一のガチンコ勝負になったわけです。
この決闘、お互いが反対側から馬を駆けさせ、すれ違いざまに相手を射る。で、当たらなければ、再び引き返して射合うというものです。
両者数度行き帰りするも、実力切迫として、互いに当てあうも急所に命中しません。最初はやんややんやと見ていた郎党たちも、試合が繰り返されるうちに恐くなってきました。「今ヤ射落トサル、今ヤ射落トサル」といったココロモチです。自分たちがけしかけたことも忘れ、後悔し出しました。
で、それがピークに達した頃、突如、二人は射合うことをやめます。
良文「やるじゃない。昔からの敵じゃないし、互いの実力も見たし、わざわざ殺しあうことないよ。」
充「私もそうおもっていたところだ」(原作では「我モ然思フ」。この人のセリフそればっか)
さすがはやんごとなき方々、スポーツマンシップをわきまえています。郎党も「もうこんなハラハラすることはこりごり」となり、お互い円満に別れましたとさ。
で、ここまでくればなんとなく分かると思いますが、おそらく充と良文はグルだったのでしょう。
お互いの郎党どもに思い知らせるため、わざと一騎打ちに挑み、互いの郎党の肝を冷やさせたのでしょう。取りまきを制するには、ただ道理だけではダメで、時にはこういった形での「実演」も必要と言うことですね。勉強になります。
で、村岡。おそらく梅しばを食った村岡くんは村岡五郎良文の子孫だと考えられます。梅しばを販売する村岡食品(村岡君は会社の名前だったんですね)の本社があるのは群馬県前橋市はギリギリ高崎線の沿線であります。((前橋駅は基本は両毛線。わずかに高崎線直通の列車がある))また、村岡五郎こと平良文の子孫は良文流平氏として関東に一大勢力を築き上げます。梶原、大庭、千葉、上総、三浦、和田、畠山、河越、江戸、葛西など、源平合戦の中心となる氏族の半数近くはこの良文の子孫、すなわち良文流平氏(よしふみりゅうへいし)となるのです。
その本拠地である村岡を名乗る子孫・村岡氏はあまりぱっとしないのですが、おそらくはこの支流が土着し、起業したのでしょう。まあ、あのあたりは山名氏(新田源氏。後の室町幕府四職。)や佐野氏(秀郷流藤原氏謡曲「鉢の木」で有名。日本赤十字と燈台の父・佐野常民はこの一族)、赤堀氏(秀郷流藤原氏あかほりさとる奥谷かひろの先祖)なんかの中心地なので、少し平氏は弱い地域なのですが、北関東ですし、分流がおってもおかしくはありませんな。
ということで「梅しば」の村岡くんは、
埼玉県熊谷市村岡に本拠地を持つ平良文の子孫である良文流平氏の支流・村岡氏が前橋に土着して、そのまま近代をむかえ、昭和八年に自己の名字を取って「村岡食品」を起業した可能性がある、なので、そのCMキャラクターである「梅しばを授業中に食っていた村岡君」は良文流平氏である可能性が高く、平良文と源充がガチで勝負していたら、この世に存在しなかった可能性が高い。ということになりました。
梅で思い出すことといったら、そんなところです。

あ、そういえばそろそろ50萬ヒットいきそうなので、もし499999、50萬、500001のいずれかのカウンター踏んだ人は言ってください。お好みのイラストか、お好みのテーマでブログ書きます。