自分の「弱さ」を「優しさ」と勘違いしてはいけない

自分の「弱さ」を「優しさ」と勘違いしてはいけない。
その優しさのみを「モノサシ」に、生きてしまってはいけない。
その弱さにかまってくれる人間だけを、「正しい者」としてしまうから。
人もまた自分に似た「弱さ」に生きていることを忘れてしまうから。


強きものを、声大きいものを、妬んではいけない。
彼らを妬むおとで、弱き自分に誇りを持つ。
それは身売りでしかない。
自分の、自分だけの「弱さ」をもてない人間のすることだ。


自分の「欲望」のために弱さを武器にするのはいい。
自分の「欲望」から逃げるときに「弱さ」を理由にすることがいけない。


前のめりに突っ込むために弱さはいい。
弱さでがんじがらめになって逃げられなくなるほどに、
身動きが取れなくなるほどに懊悩するのもいい。


だが、


自分の弱さを基準にして「世界を舐めるのはいけない」。

自分の弱さで生み出した世界を、弱さを理由に「舐めること」は、
蝸牛の殻ののように堂々巡りするだけのおろかなみちゆき。


「弱さ」に誇りを持てるように、誰にも頼らない「弱さ」に生きていけるように。
自分だけの「弱さ」に、「戸惑い」に、「躊躇」に誇りが持てるように。



そのときはじめて「弱さ」は「自分」になる。
自分が弱きものになるのではなく、
こころのなかの「弱きもの」こそが、
「自分」だったと、
胸を張って、
言えるようになるのだ。