300年の精神史 -風雲児たち-

なんのために関ヶ原にきたのかまったくわからない藩が三つある。
すなわち長州(ちょうしゅう)、薩摩(さつま)、土佐(とさ)の三国であった。
かれらが歴史のなかにこの戦いの意味を見い出すまでには、
およそ三百年の時の流れを必要とせねばならなかった。

                           みなもと太郎風雲児たち

風雲児たち (1) (SPコミックス)

風雲児たち (1) (SPコミックス)

「始まり」には、常に「終り」の「影」が見える。
「終り」とは、「始まり」の光のその先にある。

ひとつの完結した世界、完結した物語を見るものは、「始まり」に「終り」の姿を見、「終り」に「始まり」の姿を見るのである。
したがって、「江戸時代」という完結した世界を眺めるとき、我々は始まりの「関ヶ原」に終りの「幕末」を見、終りの「幕末」に始まりの「関ヶ原」を見るのである。否(いな)、見てしまうのである。
冒頭で挙げた三国。「長州」、「薩摩」、「土佐」は天下分け目の多い戦・関ヶ原の戦いにおいて、決定的な敗北を喫した。
だが、彼らは「徹底的な敗北」を味わうに足るだけの「徹底的な関与」ができなかった。
徹底的な関与をし、徹底的に戦ったものたちは、徹底的に滅ぼされざるを得ない。
主謀者・石田三成は河原の露と消え、大谷吉継は戦場に死地を見い出し、宇喜多秀家は泳いで帰れぬ八丈島に流されてしまった。徹底的に戦ったものは、死んで花見を咲かせてしまったのである。燃え尽きたのである。
しかるに生き残った敗者たち、長州、薩摩、土佐は、敗者でありながら、積極的に敗北に関与できなかった。「敗北」という結果が享受できるほどに戦わ(え)なかったのだ。
したがって、戦後、徳川政権より下された断罪の数々を、彼らは忸怩とした思いで飲み込まざるを得なかった。勝敗に対する中途半端な思いを、悔恨を、引きずって、それでもなお、生きざるを得なかった。
そういう中途半端さ、彼らを生きながらえさせた「消極性」。それが幕末回天のエネルギーとなる。
江戸幕府300年の歴史を回天し、次なる世界への原動力となったもの。その延引を手繰り寄せてみれば、それは敗者の、「生き残ってしまった敗者の忸怩(じくじ)」だったのである。
その忸怩が、風土となって、国を覆い、日本を覆う。
風雲児たち」という作品は
人と関わりながら人を超越し、
国(地)を描きながら、国(地)を超越し、
彼らのモザイクによって、「天」が経巡る(へめぐる)ことを、その作用を描くのである。
天地人」の連環によって描かれる世界は、まさに「300年の精神(ガイスト)の歴史(ゲシヒテ)」。