仁和寺にある法師ごっこ
仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂く覚えて、
あるとき思い立ちて、ただひとり徒歩(かち)よりまうでけり。
『徒然草』 第五十二段
日本三大随筆のひとつ、徒然草(つれづれぐさ)の一段です。吉田兼好によって鎌倉時代の末期に書かれたこの随筆には仁和寺の法師の話がよく出てきます。大体が「宴会芸で甕に顔を突っ込んで出なくなった」とか「宴会芸で弁当を隠して宝探しごっこをしようと思ったらパクられた」など、アホな話なのですが。
兼好は当時、仁和寺に隣接する双ヶ丘(ならびがおか)に住んでおり、そこから仁和寺の法師らの乱行をストーキングしたりうわさを聞いたりしていたのでしょう。たちの悪いおっさんですな。
で、そんな仁和寺話の中でも極めつけが第五十二段のこの話です。古典の教科書にも載っているのでご存知の方もおられるでしょう。このお話、仁和寺のある法師の思いつきに始まります。彼は年をとるまで一度も石清水八幡宮*1に行ったことがないのを気にやみ、一念発起。参拝することを考えました。
徒歩で。
きっと、周りの同僚が自慢げに話していたんでしょうな。「石清水ヤベェ」とか「石清水パネェ」とか。で、「オマエ、まだ石清水いってねーの?ダッセ」ぐらいのことは言われたんでしょう。そこで一念発起した、「行こう」と。
徒歩で。
そんな彼の心境に近づくべく、私も思い立ち、ただひとり石清水へ行こうと思います。もちろん
徒歩で。
仁和寺から千本通までは一条通を中心に進みます。今回「徒歩(かち)にて詣でけり」という原典を参考に、鎌倉時代のパンピーの坊さんが徒歩ルートをとって仁和寺〜石清水ルートをたどる場合、そのような道をたどるだろうということを考えました。
そこで出た結論は
一.仁和寺〜千本通までは一条通。
二.千本通(昔の朱雀大路の跡を通る道)を南下。
三.羅城門からは鳥羽の作り道を南下。
四.淀川は仕方ないので現代の橋を渡って石清水八幡宮へ
というルート設定を考案しました。比較的最短ルートかつベターな道設定なので、仁和寺の法師のルートとあたらずも遠からずといったところでしょう。しかしこの法師は、後にも述べますが「不思議ちゃん」っぽいところがあります。のでルート設定がカオスな可能性もあります。まぁ、そこは目をつぶってくださいね。では、はじめます。
- 4:45仁和寺周辺
出発は早朝。暗い、暗い、何も見えない。写真は一条通りのものです。仁和寺から一条通を東へ進みます。そこから中立売通りを南下、ずっと千本通(せんぼんどおり)を下に向かいます。千本通は平安京の朱雀大路というメインストリートに当たります。
- 5:30八条通
梅小路公園前です。SLの展示では日本一です。しかし真っ暗です。後ろに見える時計は京都市場のものです。この時間が最盛期らしく、競りでにぎわっていました。
- 5:50西寺跡
平安京のいっちゃん南に位置する寺で、朱雀大路を軸として東寺と線対称に位置する寺です。いまでは廃墟と化しています。
- 6:00羅城門跡
芥川龍之介の小説や黒澤明の映画でも有名。ここで平安京の京内は終わりです。で、次に向かうのが羅城門の南側に見えるこの道。
これが鳥羽の作り道(とばのつくりみち)のスタート地点です。鳥羽の作り道に関しては
鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられた後の号にはあらず、昔よりの名なり。
元良親王、元日奏賀の声、甚殊勝にして大極殿より鳥羽の作り道まで聞こえけるよし、李部王記に侍るとや。
『徒然草』百三十二段
と、徒然草にも記載があります。ここで兼好が言っているのは「鳥羽の作り道は院政期(11世紀末)に鳥羽殿が建てられてからの通称じゃないよ。昔からある名前なんだよ。元良親王が、正月おめでとうの挨拶をする声が特にすごくて、大極殿(平安宮の中心)から鳥羽の作り道まで聞こえたというということが李部王記(りほうおうき)という10世紀の日記に書いてあるからだよ」ちゅうことです。
「丸太町通から九条通(直線約5キロ)まで聞こえる声ってどんな声だよ!」という突っ込みは置いといて、それほど昔からあった名前だということですよ。この道は羅城門と鳥羽離宮(鳥羽殿)を結ぶ道です。ここをさらに南下して行きます。
- 6:10鳥羽の作り道
なんもない普通の住宅地ですが、道幅がほかの道に比べて少し広い。京都市バス18系統がこの作り道沿いを通ります。平安京内、京外のメインストリートを体験したい方は乗ってみてもいいかも。
- 6:28恋塚
源頼朝の挙兵を助けたという伝説が残る文覚(もんがく)上人ゆかりの遺跡です。文覚上人は出家前、遠藤盛遠と名乗っていました。かれはある日、人妻に横恋慕し関係を迫りますが、あやまってその妻を殺してしまいました。それを期に出家し、文覚として活躍。神護寺を復興したり、俊乗坊重源に八幡神画像を借りパクされそうになったのを取り戻したりと活躍しました。
この恋塚は人妻・袈裟御前(けさごぜん)に対する供養のものだそうです。
- 6:45鳥羽離宮跡
院政期の政治の中心となった鳥羽殿の跡地です。後ろに見える小高い丘がその名残と伝えられています。院政を始めた白河上皇*2が寛治元年(1087)年に造営しました。以後、この周辺に離宮が増築され、院政期の法皇、上皇の陵墓もこの鳥羽の地に残っています。平安京から徒歩で一時間半ぐらいだとすると、離宮にするにはちょうどいい距離かもしれませんなぁ。鳥羽伏見の戦いの鳥羽側の戦はここを主戦場にして行われました。
- 7:00白塗り地蔵 恋塚2
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「恋塚2」がっ!?
源頼朝の挙兵を助けた(以下略)、文覚上人(以下略)、恋塚(以下略)。
鳥羽の作り道一帯では恋塚が大量生産されているみたいです。あと数十年すれば「恋塚3」の姿を見ることができるでしょう。
- 7:05月の桂酒造 謎の石
創業1675年。335年の歴史を持つ酒造です。1964年に日本で最初に「にごり酒」という名前を創案した酒造だそうな。米を炊く煙がもわもわとしていました。ここから河原に合流するのですが、そこになぞの遺物(オーパーツ)が!?
これは一体?横三列に並ぶなぞの石片!?
彼らが起こしていると思われる謎の水蒸気!?
宇宙人の置き土産か!?サナートクラーマー*3の秘術か!?
…と、思いきや、二条城修築の際に使う石垣が、この地で沈没したものらしいです。
- 7:25羽束師橋
ハヅカシー名前です。ここで加茂川と桂川が合流します。加茂川は京都の東山と平行して流れ、桂川は嵐山から、京都の西南をめぐります。
京都をキャンディにたとえれば、ちょうどこの位置がキャンディーの袋の絞り口といえましょう。
- 8:00納所(のうそ)
淀に到着しました。この地は六国史のひとつ『日本後紀』延暦二十三年(804)七月丙申(24日)条に「與等津」(よどつ)とあることから、この時代から港としてあったことがわかります。おそらく鳥羽の作り道の用途のひとつとして、京都と淀を結ぶ役割があったのでしょう。その証拠に、
ここまで千本通は続いていたのです!
- 8:15淀城
徳川秀忠の時代に作られた。京阪淀駅の目の前にあります。というか淀駅の駐輪場と化しています。豊臣秀吉によって作られた旧淀城はこの北側、納所の方にあり、鳥羽街道(千本通)、伏見街道(伏見へ抜ける道)両方ににらみを利かせていました。鳥羽伏見の戦いの際、幕府軍はここで兵を分け、鳥羽、伏見それぞれに進軍したのでしょう。対岸の山崎の地とあわせ、西からの京の防衛の要といえるのがこの淀の地です。
- 8:30美豆(みず)
納屋や蔵が並び、船荷を出し入れした場所です。八幡宮までもうすぐです。
- 8:40淀川
本当は宇治川です。この淀の地で、1羽束師で合流した桂川、2宇治川、3奈良から流れる木津川が合流(三隊合体)して、淀川へと進化します。古代から一貫して河川交通の要衝であります。そしてむこうに見える男山(おとこやま)が石清水八幡宮の場所となります。もう、橋を渡るのみです。
- 9:20石清水八幡宮
到着ー。約五時間かかりましたー。
さて、では早速参拝。
(冒頭の続き)
極楽寺、高良などを見て、かばかりと心得て帰りにけり。さて、かたへの人にあいて、
「年ごろ思いつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、まいりたる人ごとに、山へ登りしは、何事かありけむと、ゆかしかりしかど、神へまいるこそ本意なれと思いて、山までは見ず」
とぞ言いける。
少しのことにも先達はあらまほしきことなり。
『徒然草』 第五十二段
(現代語訳)
極楽寺、高良社などを見て、「これでおわりか」と思って帰った。
さて、友人に向かって
「年来(しようと)思っていた石清水参拝をしましたよ。聞いていたよりもずっと良かったね。そういえば、参拝に来ていた人たちがみんな山に登っていったのを見て『何があるんだろうか?』と知りたかったけど、神に参拝することが目的だったので、山まではみなかったよ」と言った。
ささいなことでも案内はあるべきである。
…ということで、仁和寺の法師、極楽寺、高良社のみ参拝して山上の石清水八幡宮本社には参拝せずに帰ってしまったのです。おっちょこちょいですね。きっと友人そのほかの僧侶の物笑いになったことでしょう。さすがに石清水八幡宮に参拝しないとは、ねぇ。
わざわざ徒歩でいったのに、ねぇ。
徒歩で、ねぇ。
…。
…ああ、そうですね。
そういえば、これは仁和寺にある法師ごっこでしたね。そういえば…
「極楽寺…」
石清水八幡宮の宮寺。鳥羽伏見の戦いで消失、現在は頓宮(とんぐう)として神社化している。
「高良などを見て…」
石清水八幡宮の摂社。同じく貞観年間に勧請。
「かばかりと心得て帰りにけり」。
ええ、
そうですよ、
帰りましたよ。
もちろん石清水八幡宮には参拝せずに、ねっ!!
「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」
完