近況

お久しぶりです。
私は現在、地方都市Kを離れ、常陸国新治(にいはり)郡笠間庄(現・茨城県笠間市)に住んでおります。


土着後、かれこれ二週間ぐらい経ちますが、本日やっとネットが開通したため、ここに近況をしたためたという始末。

笠間庄は鎌倉初期の武将・宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)*1の養子である笠間時朝(かさまときとも)が土着した土地です。現在でも城下町の風情を残した街並みが広がる素敵な街です。市内には毛利元就の娘婿となり、周防国三丘(みつお)で毛利家の支藩として栄えた、宍戸(ししど)氏*2の発祥の地もあります。何より家賃が安い。


この街はまた、美術、芸術の町として知られ、人口8万とわずかの地方都市ながら、笠間日動美術館(かさまにちどうびじゅつかん)、日動美術館別館・春風萬里荘(しゅんぷうばんりそう)、茨城県陶芸美術館、笠間稲荷美術館、スポーツカーミュージアムと、五つの美術館を有しています。文化の薫りあふれる街です。あと家賃が安い。


また、江戸時代に滋賀県信楽から陶工を招いて窯業を始めました。笠間焼や宍戸焼(ししどやき)と呼ばれるそのやきものは、関東の陶芸文化の嚆矢(こうし)となりました。現代でも街中に陶工がいます。家賃が安いのも魅力ですね。


『mantrapriの生涯原液35度』は、今月より第二章・笠間血風編(かさまけっぷうへん)となります。今後も変わらぬごひいきをば、平にお願いいたす所存であります。

*1:鎌倉幕府御家人。京都の嵐山に隠遁する。藤原定家小倉百人一首を作らせた、ある意味日本カルタの父な人

*2:鎌倉幕府の有力御家人八田知家(はったともいえ)の四男である家政(いえまさ)が常陸国・宍戸庄に土着したのを始祖とする一族