えびのしっぽ
きょう、天丼やで、えびのしっぽをたべた。
私はえびのしっぽがきらいだった。
かりかりしたえびの外骨格。ぷうんとにおいをはなつそれが、もっとも詰め込まれた場所、それがしっぽだ。
えびのしっぽ、内骨格に生きるわれわれにはないもの。神経をとおしたよろいであり、かれらにとっては肉であり、いのちと地続きの機関。
それがあまりにもかたく、あまりに「モノ」なので、
いのちをたべるより、いたって不気味だ。
今日、えびのしっぽをたべた。
いのちは、いのちならざるもの、さながらいのちに見えぬ、いのちあるものをも、たべてつなぐ。
中間色(セピア)のいのちをたべてつないだいのちは、だんだんとセピアいろになっていくんだろうか。
うっすらとあわいはだあいをみせて、大気にとけだしていくのだろうか。
とけだすいのちを考えても、えびのしっぽは、こわい。
でも、私はえびのしっぽを、今日たべた。
意外と、いけた。
そらは、セピア色だった。