ルサンチマンについて

はい、とりあえず雑文を書き散らしてみました。ここからうかがえるのは私のひねくれた性格ですね。何よりひねくれているのはルサンチマンがねじくれているところです。
ルサンチマンというのは「右のほほをぶたれたら、左のほほを差し出す。これで俺様の善行パワーがたまり、神の世が来た時には祝福されるぜ」というような、自分の弱さを脳内で勝手に負のエネルギーにして、そのくせそれを善だと思い込んでわだかまっている態度なんですが、わたくしの場合ねじくれておりまして「ルサンチマンを言う人間を仮想敵として、ルサンチマンを言う」んですね。
つまり「『「右のほほをぶたれたら、左のほほを差し出す。これで俺様の善行パワーがたまり、神の世が来た時には祝福されるぜ」ってなことを言ってるやつがいるからわたしはほほをぶつ側に回ってそいつをぶつ』。うーん、一見正義っぽく見えますが、場合によってはさらにたちの悪いルサンチマンなんですね。これ。ルサンチマンの殻の中に、さらにルサンチマンの殻を作って住んでいる。二重かたつむりの様相を呈しているのですなぁ。マトリョーシカ人形のよう。
で、ここで私がしなければならないのは、「強い者も弱い者も合わせてぶつ」。いわゆる手前勝手さですな。つまり強者や弱者を「仮想」する態度自体がいけねぇ。
強い子も、弱い子もいない。人間がいるだけ。世界を理解するための符牒として「強い子」「弱い子」を想像する必要はあるが、それを発展させすぎると頭の中に作った仮想の「強い子」「弱い子」が一人あるきして、自分を縛るようになる。そうして、自分の意思で自分を縛っているくせに「あいつは強い子だから悪い」「弱い子だから悪い」と、さも自分の外側に、自分が手前勝手にした定義が「ある」ように思えて、それが自分に害をなしているかのように思えてきてしまう。
これは、よくない。
だから、こういったものを排除し、精査したうえで賢い「自己中」にならばければいけない、と。
で、現在はどうしたら賢い自己中になれるかを模索している段階です。
その過程が見えるブログが、以下の四つ。
元気が、あれば - マントラプリの生涯原液35度
自意識過剰と自己中はちがうんだぜ - マントラプリの生涯原液35度
自己チューでないと他人の立場には立てない - マントラプリの生涯原液35度
神様や信仰や - マントラプリの生涯原液35度