切れる、ことば

ことばは刃物に似ている。
研ぎ続けなければすぐに錆びてしまう。
幼稚でも、意を尽くしていなくても、文脈がとんでいても、
とにかく発し続けなければならない。


失敗は多いほうがいい、それがことばを研ぐことになる。
おなじ失敗を何回も何回も何回も何回も繰り返す。
それは研ぎ石の上を前後する刃物のごときものなのだから。


沈黙は金というが、それは本当であり、嘘だ。
ことばを発することができる人間の、ことばだ。
だからことばを発せない人間は、そういう甘言にだまされず、ひたすらに発するしかない。


それが負い目になろうが、関係ない。
それで失敗しようが、関係ない。
それはことばの問題ではない、こころの問題だからだ。


ことばとこころは分けられい。それも本当であり、嘘だ。
こころを発することができる人間の、ことばだ。
こころをことばに乗せられない人間には、誰も同情してくれない。そういうふうにできている。


だからことばを発しなければいけない。
こころに紛らかさず、自分のために、発しなければいけない。
そうしてことばの海をつくったなかで、ようやくことばにこころがやどる。


そうしてはじめて感情を持ったことばをあやつることができるようになる。
ありていにいえば、ひとに感情を伝えることばをあやつれるようになる。
そうしてはじめてひとは、私に感情があることを、しるのだ。


ことばは刃物だ。
切れないと思えば、そのまま錆びていく。
不立文字は切れることばを持つものの、ことばだ。
もたないものは、ただ、ただ、研ぐしかないのだ。