2011-04-27

00:20
仏教に諸法無我の教えがある限り、私たちの「現実認識」や「科学の受容」は仏教よりも「宗教的」にならざるを得ないんだろうなぁ。

00:24
諸法(セカイの真理)無我(そんなもの、オレが知るか!)だもんなぁ。超訳すれば。自分を取り巻く現実や現象に真理との関わりを求め、体系化しようとする営為が働く限り、日常の方が宗教的だよなぁ。

00:31
大乗仏教はあっちのセカイの如来をボコボコ登場させることで、ここらへんがだいぶしっちゃかめっちゃかしちゃった気がする。で、釈尊から遙か離れた地点にたどり着いた浄土真宗が、諸法無我のこころもちに一周巡って忠実な気がする。

00:37
阿弥陀仏のはからいにすべて任せることで、真理だとかセカイだとか、善悪だとか、自分の外の理法に対して「極楽往生は必定だから、知ったことか」と言える。諸法に全身で包摂されることで反転して諸法を意識せずに生きることができる。真宗は仏教だな、と思う。

01:03
@LDmanken 浄土真宗については日本人の心性を理解するためには神道以上に重要だと思っています。まどかの「魔法少女が救われるのは必定だから、当然私も救われる」というあの論法はどう見ても浄土教から採られているものだと思いますです、ハイ。

01:21
@LDmanken まどかのどこにもいてどこにもいない、永遠の時間を生きる。という説明を無量寿(永遠の時間)、無量光(あらゆる場所)と阿弥陀仏の別名に翻訳したり、魔法少女の死の瞬間に顕現して、連れて行くのを見ても「阿弥陀仏の来迎である、有り難し」と思ってしまう私は仏教バカですw。

01:29
@LDmanken 大体、同じ事を考えていた。 …や、やはり。ドイツの皮をまといながら、とんだ仏教思想魔法少女でございました。

01:40
@LDmanken 見てないです。あっちの世の話っていうことぐらいの断片的な情報しか。

01:51
@LDmanken 面白そうな命題ですね。「浄土思想が生まれる根のようなもの」。チェックしてみます!


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